中古ゲームは滅びなかった

東京高裁平成13年3月27日判決及び大阪地裁平成13年3月29日判決 をテーマ注1

弁護士A:あっ、B先生、お久しぶり。

弁護士B:お久しぶりです。あっ、Cくんもお元気そうですね。

修習生C:この間は、面白い議論をさせていただきありがとうございました。

弁護士A:B先生、ところで、この間、中古ゲームの売り買いが晴れて合法となったんですよね。

弁護士B:地裁段階では、東京と大阪とで結論が分かれていましたが、高裁段階では、東京・大阪ともゲームソフトの中古品を販売することは頒布権侵害にあたらないとしましたね。きっとまた、「映画会社が黙っていない」などと騒ぐ人注2が現れるのでしょうね。

弁護士A:確かに、映画業界は黙ってはいなかったようですね注 3

弁護士B:「著作権者の正統な利益」といわれたってね。どこまでが正統な利益なのかが問題なんだし。

修習生C:まあまあ。そういえば、地裁段階では、東京と大阪で正反対の判決がでたということで、マスコミでもずいぶんセンセーショナルに扱っていましたね。

弁護士A:そうだったよね。いやね、あのときはうちの息子もずいぶん心配していたんだよね。中古ソフトさんがなくなったらどうしようって。今まで通りいろんなソフトを楽しめなくなってしまうってね。

弁護士B:いやあ、新品だけで今までと同じ本数のゲームを買えるように、息子さんへのお小遣いを値上げしてあげればいいじゃないですか。

弁護士A:B先生ったら、もう意地悪なんだから・・・。中古ソフトが撲滅されたからって、子供のお小遣いを値上げしてあげる親なんているわけないでしょう。

弁護士B:中古ソフトが販売されていることによってソフトハウスは、中古ゲー ムの売上本数×新品ソフトの定価もの損害額を被ったのだと主張している人たちって、世の親は皆それほど子供には甘いのだということを前提としているのではないですかね。

修習生C:本当にB先生ったら意地悪ですね。

弁護士B:ところで、Cくんは、両高裁判決は読みましたか。

修習生C:はい。ゲーム映像が「映画の著作物」にあたるか否かという論点については、大阪地裁判決とほぼ同じ判断を下したのに、ゲームソフトの中古品を販売することが頒布権侵害にあたるか否かという論点については、大阪地裁判決と正反対の判断を下したというところも面白いですし、しかも、東京高裁と大阪高裁とでは理論構成が全く違うというところが非常に興味深いです。

弁護士B:へえ、Cくんはてっきりプロパテント派だと思ったのに、意外だねえ。

修習生C:もう、ほんとうにB先生は意地悪ですねえ。修習生の給与では新品ソフトばかりを買い込むわけに行きませんし、それに修習生は1年半の間に2回も引っ越さなければいけないので、不要になったソフトを売りつける場所がないと困るのですよ。CD−ROMって燃えるゴミの日に出したらいいのか燃えないゴミの日に出したらいいのかよくわからないですし注4

弁護士A:ははは。ところで、東京高裁はどういう論理で頒布権侵害性を否定したのですか?

修習生C:東京高裁は、「法26条1項の立法の趣旨に照らし、同条項にいう頒布権が認められる『複製物」とは、配給制度による流通の形態が採られている映画の著作物の複製物、及び、同法条の立法趣旨からみてこれと同等の保護に値する複製物、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造されることの予定されている場合のものであり、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものは含まれないと、限定して解すべきであると考える。」と判示しています。要するに、著作権法第26条1項の「複製物」という文言を縮小解釈ないし限定解釈したということです。

弁護士A:まあ、東京と大阪で裁判所の判断が分かれたとして両地裁判決がニュースなどで取り上げられたときには、私も、「ゲームソフトが映画の著作物だから中古品の販売は許されない」という大阪地裁の判断は具体的な妥当性に欠けるなあと思っていたから、そういう具体的妥当性を欠く結論を避けるために縮小解釈などを行うというのは、私のような一般民事中心の弁護士にも理解しやすいですね。

弁護士B:そうでしょう?カラオケ裁判の時はさんざん拡大解釈や縮小解釈をしておきながら注5、いざ、著作権者が不利になる方向に法律解釈がなされるとなると、民法などでは普通に使われている解釈技法ですら、採用されることが信じがたいかのように文句をつけるのだからなあ。

弁護士A:まあまあ、B先生、抑えて!で、裁判所は縮小解釈しなければいけない根拠としてはどういうことを掲げたのですか?

修習生C:はい。まず裁判所は、著作権法第26条1項が立法されたときの立法の経緯ないし立法者意思について、「著作権法がその26条1項により映画の著作物にのみ頒布権を認めたのは、ベルヌ条約ブラッセル規定が映画の著作物について頒布権を設けていたことから、条約上の義務の履行として規定を設けたものであること、立法当時、劇場用映画については、劇場や映画館等で公に上映されることを前提に、映画製作会社により製作され、完成したオリジナル・フィルムを本に一定数のプリント・フィルムが複製され、このプリント・フィルムが、映画製作会社から劇場、映画館等に貸与され、貸与の許諾を受けた各劇場、映画館等の間を転々と移転するという流通形態である、いわゆる配給制度の慣行が存在したこと、映画製作会社は、このような配給制度を通じての公の上映によって、劇場用映画の製作に投下した資金を回収しており、1本1本のプリント・フィルムが劇場公開により多額の収益を生み出すものとして、高い経済的価値を有する状態にあったこと、立法者は、このような劇場用映画に特有な流通形態である配給制度の存在と、1本1本のプリント・フィルムの高い経済的価値に着目し、配給制度を実効あらしめるための権利として、フィルムの頒布先、頒布場所、頒布期間等を規制する、他の著作物にはない極めて強力な権利として、頒布権を認めたものであり、頒布権を劇場用映画の配給権と同義であると理解していたことが認められる」と判示しました。

弁護士A:ふむふむ。

修習生C:その上で、「法26条1項の頒布権は、立法当時、著作権による格別の保護のないままに既に存在するに至っていた劇場用映画の配給制度を念頭において、いわば法律上の制度に高めることによりこれを保護し、保障するために規定されたものであることが、明らかである。そして、上記配給制度の下では、配給の対象となるプリント・フィルムは少数しか作成されず、頒布先も劇場、映画館などに限定されていることから、1本1本のプリント・フィルムの経済的価値が高く、これの流通を支配することが認められなければ、投下資本の回収が極めて困難となる反面、頒布権により複製物の流通を規制することを認めたとしても、取引秩序に与える影響は小さいということができる。このように、法が、複製物の流通をほとんど全面的に規制することができる強力な権利である頒布権を、映画の著作物にのみ認めた実質的理由は、劇場用映画の配給制度を保護、保障することにあるということができ、他に、映画の著作物に頒布権を認めた実質的な理由となるべき事由は、本件全資料を検討しても、見いだすことができない。」と判示して、著作権法26条1項の実質的な意義は、劇場用映画の配給制度を保護・保証することにあるとしました。

弁護士A:ふむふむ。

修習生C:そして、「このような立法趣旨に照らすと、同条にいう『複製物』は、配給制度による流通を前提とするもの、及び、上記立法趣旨からみてこれと同等の保護に値するもの、すなわち、一つ一つの複製物が多数の者の視聴に供される場合の複製物、したがって、通常は、少数の複製物のみが製造され、著作者はそれら少数の複製物の流通の支配を通じて投下資本を回収すべく予定されている場合のものに限定され、大量の複製物が製造され、その一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のものはこれに含まれないとするのが、合理的な解釈となるというべきである。」と判示したのです。

弁護士A:「頒布権」という権利は、媒体所有者の所有権を著しく制約する権利ですから、その適用範囲は、頒布権が設けられた本来の目的を果たすために必要な範囲内に限られるべきというのが暗黙の前提にあるのだと考えると、この裁判所の論理はすうっと頭の中に入っていきますね。

修習生C:裁判所も、「上記のような解釈が、法26条1項の文理に反することは、前述のとおりである。しかしながら、当裁判所は、複製物、 すなわち、法2条1項15号にいう『複製』によって再製された物に含まれるものであっても、頒布権という極めて強力な権利を映画の著作物のみに認めた立法趣旨に照らし、法26条1項の『複製物』には、上記限定が設けられているものと判断するのが相当であると解するものである。当該条項の適用対象を限定することを相当とする実質的根拠が認められないのに、文言自体には含まれない限定を解釈により加えることが許されないことはいうまでもない。しかしながら、そのような実質的根拠が認められる限り、解釈により文言に限定を加えることが許されるのは当然というべきである。そうしなければ、特に、立法当時予想されていなかった事態が時の経過等に伴って出来した場合など、何らかの形で、むしろ立法の目的自体に反する不当な結果となることが避けられなくなることは、見やすい道理であり、このような結果となることを認めるのが、法の解釈としてあるべき姿とは考えられないからである。」とまで判断していますね。

弁護士B:こうなってくると、大阪地裁判決の拙さが目立ちますね。あの裁判官がナポレオンの信奉者で、「成文法の解釈など一切しないぞ」というのならば、裁判官としての良心をかけて、ずっと貫いてもらいたいものだけど。

弁護士A:ほんと、B先生ったら、意地悪なんだから。

弁護士B:ははは。

弁護士A:ところで、ゲームソフトのCD−ROMが著作権法26条1項にいう映画の著作物の「複製物」にあたらないということになると、レンタルはどうなるのですか?

弁護士B:そりゃ単純ですよ。旧著作権法26条の2第1項(現著作権法26条の3第1項)では、貸与権を「著作物(映画の著作物を除く。)をその複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあっては、当該映画の著作物の複製物を除く。)の貸与により公衆に提供する権利」と定義しているのですから、ゲームのCD−ROMが「映画の著作物の複製物」にあたらない以上、貸与権の対象となるわけでしょう。

弁護士A:でも、貸与権の対象からわざわざ映画の著作物を除いたっていうのは、映画の著作物については、頒布権によりレンタルを規制すれば足りると考えられていたからではないのですか。

弁護士B:確かに、昭和59年に貸与権に関する規定が新設された際に、業界団体が動いた形跡はありますね。でもですね、いったん定められた法律をどう解釈するかということは、立法府の権限ではなくて、司法府の権限ですからね。まあ、頒布権に関する規定が創設されたときに起草担当者の官僚がどう考えていたか、あるいは立法府である国会においてどのような議論が行われていたかということは、その規定の立法趣旨を判断し、ひいてはその規定の適用範囲を判断する上で重要な手がかりになるとは思いますが、その規定が制定された遥か後に、その規定の立法趣旨や適用範囲について、他の規定の起草担当者がどのように考えていたのかなどということがそんなに重要だとは思わないですね。せいぜい、学説の一つとして珍重するくらいの感覚ですね。

修習生C:裁判所も、「確かに、貸与権規定の創設当時において、立法当局者に、ビデオ・ソフトに頒布権が及ぶとの理解があったことが認められる」が、「上記認定の立法当局者の解説や著作権法の解説書の述べるところは、つまるところ、以前から認められている映画の著作物の頒布権の及ぶものについては貸与についての保護をそれにゆだねることとして、それが及ばないものについての保護のための制度として貸与権が創設された、ということを示すに尽きるのであり、そこには、貸与権制度の創設に際して従来から存在した頒布権の内容に変更が加えられたことを意味するものは、何ら見いだすことができない。これらの中の貸ビデオについての部分は、既に存在する頒布権についての解説者の認識ないし解釈を述べたにすぎないことに帰するものというべきである。」と判示しています。

弁護士A:そこはそうですね。ただ、厳密にいうと、「映画の著作物の複製物」ではない「複製物」の貸与により公衆に提供されようとも、その著作物が「映画の著作物」だったら、貸与権の対象とはならないのでしょう?

修習生C:そこのところは、裁判所は、著作権法26条の3第1項を「法26条1項と併せて読めば、結局のところ、そこには、既に法26条1項によって『映画の著作物の複製物』として頒布権の認められているものには貸与権は及ばない、という、いわば当然のことが示されているにすぎ」ないとしていますね。

弁護士B:これは、譲渡権が創設されるにあたって、譲渡権の対象から映画の著作物の複製物が除外されたこととの関係について言えますね。だ から、大阪高裁が、「平成11年法律第77号による改正により、映画の著作物以外の著作物について譲渡権の規定が新設された(法26条の2)ことに照らしても、控訴人らのような解釈を採ると、本件各ゲームソフトは、法26条、26条の2のいずれにも該当しないことになり、著作物のうち唯一譲渡権の認められないものを肯定するという不相当な結果を招くことになる」としていますが、この批判は当たらないと言えるでしょうね。

弁護士A:そういえば、東京高裁と大阪高裁とでは、論理構成が違うのでしたね。大阪高裁は、ゲームソフトが収められたCD−ROMも著作権法26条1項にいう映画の著作物の複製物にあたるとしたのですね。

修習生C:はい。その上で、消尽論の適用を正面から認めました。

弁護士A:つまり、どういうことですか。

修習生C:ゲームソフトが、「小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され、いったん市場に適法に拡布された」場合には、「少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができない」という原則です。

弁護士A:明文の根拠はあるのですか。

弁護士B:そんなものはないですよ。あまりにも当然のことですから。

修習生C:大阪高裁は、「著作権法の領域において消尽の原則が適用されるのは同法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づく。」と端的に表現していますね。

弁護士A:もっと具体的にいうと?

修習生C:まず、大阪高裁は、「著作権法による著作物の保護は、社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである」という大原則を打ち立てます。

弁護士B:まあ、著作権というのは、いかなる権利にも優先して保護されなければならない特別な権利ではない以上、当然ですね。

弁護士A:ふむふむ。

修習生C:その上で、「一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたす べての権利を取得するものであり、著作物又はその複製物が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が目的物につき著作権者の権利行使を離れて自由にこれを利用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものであって、仮に、著作物又はその複製物について譲渡等を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者の利益を害する結果を来し、ひいては『著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する』(法一条参照)という著作権法の目的に反することにな」るとしています。

弁護士B:簡単にいうと、こういうことです。商品を借り受けるのではなく、購入するっていう場合にですね、普通は、その商品を誰に転売しようが売主なりメーカーなりにとやかく言われることはないと思いますよね。特に、ある程度耐久性のある商品だったら、メーカーの許可なしには転売できないなんてことになったら、おいそれとは商品を購入できなくなってしまいますよね。そういうことで消費者が商品を買い控えることになったら、メーカーのみなさんだって困るでしょう?ってことなんです。

弁護士A:これは、消尽理論を著作物についても適用しなければならないという必要性に関する議論ですね。適用してかまわないという許容性に関する議論はどのように行われているのですか。

修習生C:はい。大阪高裁は、「著作権者は、著作物又はその複製物を自ら譲渡するに当たっては、著作物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得することができ、また、著作物の利用を許諾するに当たっては、著作権料を取得することができるのであるから、著作権者が著作物を公開することによる代償を確保する機会は保障されているものということができ、したがって、著作権者から譲渡された著作物又はその複製物について、著作権者がその後の流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないということができる」と判示しています。

弁護士A:だから、「小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され、いったん市場に適法に拡布された」後は、著作権者が頒布権を行使することが制約されても、問題はないんだということですね。

弁護士B:本来の消尽論からいえば、「小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され」る前の、パブリッシャーから問屋などに譲渡された時点で権利は消尽しているはずなんだけどね。まあ、著作物ビジネスの場合、「委託販売」というビジネスモデルがある程度普及しているから、そういうことにも配慮したのかもしれませんが。

弁護士A:こういう利益状況がそろっている場合、消尽原則を適用するのって一般的なのですか?

修習生C:そうですね。例えば、いわゆるBBS特許事件の最高裁判決(最高裁判所平成9年7月1日判決・民集51巻6号2299頁)は、特許の実施品について、明文の定めなくして、消尽原則の適用を認めています。

弁護士B:日本では、明文化されているのは、半導体集積回路の回路配置に関する法律第12条3項と著作権法第26条の2第1項くらいのものですが、まあ、アメリカでもドイツでも、消尽論というのは判例が先行して、後に明文化されるという歴史をたどっていますから、たいした問題ではありませんが。

弁護士A:というと、日本以外ではだいたい明文化されているわけですか、いまでは。

弁護士B:まあ、そう言いきってしまってもまず問題はないですね。

弁護士A:確か、中古ソフトの販売を撲滅しないと、いまにもゲーム産業が立ちゆかなくなるかのような意見広告などがなされていたような記憶があるのですが、諸外国では中古ソフトがあるためにゲーム産業が衰弱してしまったとかそう言うことにはなっているのですか。

弁護士B:そんな馬鹿なことありませんよ。ファミコンにせよ、スーファミにせよ、プレステにせよ、「消尽なき頒布権」なんて存在しないアメリカやヨーロッパなどの諸外国でも爆発的にヒットしているわけですから。彼らの言い分が正しいならば、アメリカやヨーロッパではゲームソフトなんかまともに売れないはずじゃないですか。数本の新品が売れたらあとは中古品がぐるぐる回転するだけで、あとは新品が売れないはずではないんですかね。

弁護士A:まあまあ。

弁護士B:まあ、ソフトメーカーの中には、中古ソフトの販売を規制するよう に立法府に働きかけているところもあるように聞いてはいるのですが、中古ソフトがあると新品が売れなくなってソフトビジネス自体が成り立たないというのならば、日本でのみ規制立法を通そうとするのではなく、WIPO著作権条約の改定を狙ったり、アメリカなど日本以外の主なゲームソフト消費国でも「消尽なく頒布権」が制定されるように働きかけるべきではないんですかね。

弁護士A:まあまあ。ところで、頒布権が消尽するということになると、映画の著作物の複製物については、自由にレンタルしていいということになるのですか。東京高裁のような論理と違って、貸与権に関する著作権法26条の2を適用するというわけにはいかないですよね。

弁護士B:如何に法解釈を誤っていたとはいえ、業界団体の方々がわざわざ貸与権の対象から映画の著作物を外すように働きかけたわけだからそれでもかまわないと思うのですけどね、私は。実際、アメリカでは、レンタルは自由ですが、ゲームソフトビジネスは立派に成立しているわけですしね。

修習生C:裁判所はB先生ほど過激ではありませんから、そこのところはきちんと対応しています。

弁護士A:ふむふむ。

修習生C:大阪高裁は、「第一に、権利消尽の原則が認められるのは、著作権法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、著作権法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、著作物の権利者及び著作物の権利者以外の者の行う頒布等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、著作権の各種支分権のうち、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得る頒布等の権利の効力を及ぼすことの有無が決せられるものと解される」から「法二六条所定の頒布権は、その権利内容からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得るから、当然に権利消尽の原則という一般的原則に服するものであり、ただ、具体的行為態様において、自由な商品生産・販売市場を阻害するものでない場合には、例外的に権利消尽の原則の適用を免れることになると解するのが相当である」とした上で、「貸与権規定の制定経過に明らかなとおり、貸与権は、複製権と密接な関係を有し、複製利用を内容とする著作権の特質を反映した権利というべきところ、このような貸与権が第一譲渡により消尽するとすれば、 一回の許諾に対応した対価のみで複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになり、不当」であるから、「法二六条の頒布権に含まれる貸与権も、権利消尽の原則によって否定される対象とならないというべきである」と判示しています。

弁護士B:まあ、あくまで傍論ですから、ラティオ・デシデンダイとしての効力はありませんけどね。

弁護士A:すると、映画の著作物であろうとなかろうと、譲渡に関する部分は権利が消尽し、貸与に関する部分は消尽しないということですね。そうすると、映画の著作物については26条で、それ以外の著作物については26条の2及び26条の3で規律するのは、それほど意味はないわけですね。

修習生C:そうでもないようです。大阪高裁は、「映画の著作物についても、第一譲渡により適法に公衆に拡布された後にされた譲渡のように、およそ前記の配給制度が予想していないような場合(前段頒布)には、前記1、2で説示した原則どおり頒布権は消尽し著作権の効力が及ばないものと解し、配給制度に相応した後段頒布についてのみ権利消尽の原則の適用されない頒布権を認め、公に上映する目的で映画の著作物の複製物が譲渡又は貸与された場合には、著作者の権利が及ぶと解するのが相当である」と判示しています。したがって、公に上映する目的で映画の著作物が譲渡される場合には、なおも頒布権が消尽することなく適用されるようですね。

弁護士A:その前段頒布と後段頒布とをわけるっていう考え方は、一般的なんですか。

修習生C:私にはそれが一般的かどうかはわからないのですが、東京高裁も前段頒布と後段頒布を分けていますね。26条1項にいう「頒布」を後段頒布の場合に限定すべきという被控訴人の主張は排斥していますが。

弁護士A:ふむふむ。

弁護士B:まあ、前段頒布と後段頒布とを分ける考え方を「一語二義」として批判的する見解もありますが注6、東京高裁も大阪高裁も、26条1項の頒布には前段頒布は含まれないとまでは言っていないわけだから、批判としてはあたっていないような気がします。

修習生C:大阪地裁判決は、「製作に多大な費用、時間及び労力を要する反面、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという特性」「を有する映画の著作物について、投下資本の回収の多様な機会を与えるために、上映権及び頒布権を特に認めて、著作権者が対価を徴収できる制度を構築したものと考えられる」と判示して、映画の著作物について、前段頒布に関しても権利行使がなされることを積極的に評価していましたね。

弁護士A:そういえば、この「投下資本回収の多様な機会」論は高裁判決ではどう取り扱われているのですか。

修習生C:東京高裁は、控訴人が「投下資本回収の多様な機会」論を主張したのに対し、「法26条1項は、単なる投下資本の回収一般を保護の対象として頒布権を認めたものではなく、劇場用映画の配給制度等の一定の流通態様を通じての投下資本の回収を保護の対象としたものというべきである。法が単なる投下資本の回収一般の保護を目的としていると考えるべき根拠は見いだせず、また、著作物の作成に多大な費用等を要するのは必ずしも映画やゲームソフトに限られるわけではないから、投下資本が多大であること自体は、複製物が大量に製造されそれらが流通に置かれることが予定されている場合の複製物について頒布権を認めるべき実質的根拠にはなり得ない。また、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという点については、他の著作物である書籍やレコード等についても、少なからず見受けられるところであり、映画やゲームソフトに特有のことではないから、上記の点も、頒布権を認めるべき実質的根拠とはなり得ない。」としてばっさり切り捨てています。

弁護士A:大阪高裁はどうですか?

修習生C:それが不思議なことに、「当事者の主張」としては、「多様な機会」論に対する批判が掲載されているのですが、裁判所の判断としては、この「多様な機会」論については何も触れられていないのです。

弁護士B:まあ、あまりにばかばかしい話ですからね。相手にされなかったのでしょう。

弁護士A:ところで、新聞を読んでいただけなので、本当かどうかよくわからないのですが、裁判所が、中古品販売による利益を何らかの形で著作権者に還元する立法等の措置を講ずる必要性があると判示したそ うですね。

弁護士B:それは違うのですよ。東京高裁は、「近年、『映画の著作物』以外の著作物においても、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザーに与えることが生じてきており、中古販売業者が新品と異ならない著作物の享受を公衆に提供し、かつ、著作物の公衆への提供行為それ自体によって経済的利益を上げることに対しては、『映画の著作物』以外であっても、著作権者が何らかの権利を行使できるものとすべきであるという考え方がクローズアップされてきているとし、少なくとも『映画の著作物」』の中古品の販売については、現行法上、既に設けられている頒布権を認めることによって、このような問題に適切に対処すべきである』との控訴人の主張に対して、「確かに、音楽CD、書籍等、頒布権が認められていない著作物について、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザー(最終消費者)に与えるような事態が生じている場合に、現行の著作権法が規定する権利のみでは著作権者の保護として不十分であり、このような事態に対処するため、中古品販売による利益を何らかの形で著作権者に還元する立法等の措置を講ずる必要性がある、とする議論は、十分合理的に成立し得るものというべき」であるが、「だからといって、そのことは、複製物が大量に流通することが予定されている種々の著作物のうち、『映画の著作物」』に対してのみ、複製物がそのようなものでないことを前提に認められた、前述のとおり極めて強力に流通を支配する権利である頒布権を認めるべきであるとする根拠にはならないものというべきである』と判示しただけですよ。別に、裁判所が、中古品販売による利益を著作権者に還元するような立法的な措置を促したものでもなんでもないのです。

弁護士A:そうですか。ほんとうに裁判に関するものは、マスコミ報道だけでは真相がよくつかめないですね。

弁護士B:そうですね。ソフトハウス側に露骨に荷担するメディアもありますからね。どことは言いませんが。

弁護士A:まあまあ。いずれにせよ、B先生は、今回の高裁判決には満足されているのでしょう。

弁護士B:いえ、そうでもないのです。

弁護士A:どうしてですか。

弁護士B:東京高裁も大阪高裁も、ゲームソフト映像を「映画の著作物」に含めていますから。

修習生C:東京高裁は、「『映画の著作物』に関する著作権法の規定が、いずれも劇場用映画の配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであることを前提に、法2条3項にいう『映画の著作物』の範囲を限定して解釈すべきであるとの被控訴人の主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない」として、東京地裁の論理をあっさり否定していますね。

弁護士B:まあ、東京高裁は、「控訴人は、いわゆる三沢市市勢映画事件についての高裁判決注7及びこれを支持した最高裁判決注8を引用して、上記各判決により、被控訴人の主張する解釈は、判例上確定していると主張する。しかし、同判決は、映画の著作物の著作者に関する規定である法16条、29条の適用が問題となった事案においてなされたものであって、本件とは事案を異にするものである。また、同判決の判断内容についても、そこで法2条3項の解釈についての明確な判断がなされていると認めることはできない。したがって、上記各判決により、法2条3項につき被控訴人の主張する解釈が判例上確定したとすることはできない。」というのですが、16条及び29条も、26条1項も、同じく「映画の著作物」か否かによって法律が適用されるか否かがまさに分かれるところなんですよ。で、前者については、三沢市市勢映画事件で「映画の著作物」ではないとされているのですよ。なぜ、「本件とは事案を異にする」の一言でばっさり切り捨てられるのでしょうね。

弁護士A:確かに、16条、29条にいう「映画の著作物」と、26条にいう「映画の著作物」とは別異に解釈できるのだということを説得的に説明できなければ、成り立ちにくい議論ですね。

弁護士B:さらにいうと、東京高裁は、「存在形式の要件である「物に固定されていること」が必要とされているのは、テレビの生放送番組のように生成と同時に消えていく連続影像を「映画の著作物」に含めないためであり、そこにそれ以上の意味はないというべきである。したがって、「物に固定されていること」とは、著作物が何らかの方法によりフィルム、磁気テープ等の有体物である媒体に結び付くことによってその存在、内容及び帰属等が明らかになる状態にあること
をいう、と解すべきである」としつつ、「本件各ゲームソフトは、いずれも、著作者により創作された一つの作品として、CDーROMという媒体にデータとして再現可能な形で記憶されており、プログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであることが認められる」から、「映画の著作物」に該当すると判示しているのですが、これはおかしいですよね。

弁護士A:というと?

弁護士B:だって、ディスプレイ上に映し出される具体的な連続映像は、テレビの生放送番組と同様に、「生成と同時に消えていく」わけではないですか。CD−ROMという媒体に記憶されているのは、「生成と同時に消えていく」連続映像を生み出す仕組みだけですよ。

弁護士A:それはそうですね。

(修習生C、弁護士Aの袖を引っ張る)

修習生C:A先生、そろそろ法廷に行かないと弁論始まってしまいますよ。

弁護士A:えっ、もうこんな時間か!いけない!この続きはまた今度!

弁護士B:そうですか。では頑張ってください。

注1 なお、この事件に関しては、http://www.arts.or.jp/docs/data14.pdf に記載されたものの他、下記のような判例評釈がある。

清水幸雄「ゲームソフトの中古販売と著作権法の『頒布権』

-東京・大阪、2つの地裁判決を契機に-」

清和法学研究第6巻第2号125頁

五味由典「現代著作権法の課題──中古ゲームソフト判決を契機に──」比較法制研究(国士舘大学)23号121頁

石岡克俊「テレビゲーム用ソフトの頒布権とその消尽──中古テレビゲームソフト販売差止め大阪訴訟控訴審判決」ジュリスト2001年8月1日=15日号271頁

阿部浩二「テレビゲーム用ソフトをめぐり、その理由を異にする4判決」コピライト2001年7月号34頁

岡邦俊「続・著作権の事件簿(31)ゲームソフトと頒布権(上)──2つの高裁判決を比較して──」JCAジャーナル2001年5月号36頁

岡邦俊「続・著作権の事件簿(32)ゲームソフトと頒布権(下)──2つの高裁判決を比較して──」JCAジャーナル2001年6月号56頁

赤尾晃一「中古ゲーム訴訟高裁判決を叱る!

高橋岩和CIPICジャーナル2001年4月号

藤田康幸「中古ソフト訴訟 −2つの高裁判決が出て

小松陽一郎=岩坪哲「中古ゲームソフトと頒布権」『村林隆一先生古希記 念 判例著作権法』221頁

布井要太郎「ドイツにおける著作権の用尽理論について−わが国判例との 比較において−」判例評論509号192頁

北村行夫「中古ゲームソフト裁判 (1)

注2 紋谷暢男「著作権の法的構造─将来的展望もふまえて─」CIPICジャーナル103号19頁は、「東京地裁の考え方だと、今度は映画会社が困りますね。今、映画会社の営業の主軸は何であるかをご存じですか。映画館での上映などではありません。映画を上映した後に売られるビデオソフトで収益を得ているのです。そうすると、映画会社がつくるビデオはどうですか。皆の前で上映しないでしょう。映画会社がつくるビデオは、売った途端にすぐに消尽してしまいます。中古ソフトに流してもよいとい うことになります。恐らく、これには映画会社が黙っていませんよね。」と述べる。しかしながら、この「恐らく映画会社が黙っていない」であろう結論をもたらすのは、東京地裁の考え方ではなく、東京高裁ないし大阪高裁の考え方である。もちろん、映画会社が黙っていないだろう結論をもたらす解釈ということは、その解釈が不当であることを全く意味しない。

注3 日本映像ソフト協会と日本映画製作者連盟は、両団体の会長の連名による「声明文」を公表し、「著作権法第26条1項は、明確に映画の著作物の複製物に頒布権を認めている。にも拘わらず、今回の判決は、中古販売によって著作権者の受ける不利益を、現行法のもとで救済しなかった。」、「最高裁判所では、著作権者の正統な利益が保護されるような判決がなされることを期待する。」等の意見表明を行った。

注4 東京都清掃局ごみ減量総合対策室「私たちにできること〜都民の役割」 をみてもこの点は明らかではない。

注5 例えば、大阪地決平成9年12月12日判時1625号101頁は、カラオケボックスで客が一人で歌っていても、カラオケボックス経営者が、公衆たる客に対し、歌唱しているものとして、演奏権侵害にあたるとしてい る。

注6 北村行夫・前掲

注7 東京高判平成5年9月9日判時1477号27頁

注8 最判平成8年10月14日(判例集未登載)