A:今日は、名古屋地判平成10年(ワ)第527号 競走馬パブリシティ事件について発表いたします。
 被告会社Yは、「ギャロップレーサーII」という、プレイステーション用のゲームソフトを製作し、販売している会社です。このゲームは、プレイヤーが競走馬を選択し、ジョッキーとして、レースを行なうゲームです。このゲームは、日本中央競馬会所属の実際の競走馬の馬名、性別、毛色等がインプットされていていることが一つの特徴になっています。
 原告Xは、このゲームに登場する競走馬の馬主さんたちです。
 これら当該競走馬の所有者は、これら当該競走馬を表象させる諸要素から生ずる顧客吸引力を利用して、商品を製作し、あるいは対価を得てその商品化を許諾するなど、経済的利益ないし価値を排他的に支配する財産権を有しているところ、YはXに無断で「ギャロップレーサーII」を製作・販売することにより、この権利を侵害したとして、XがYに対し、右ゲームソフトの製作・販売等の差止めを求めるとともに、不法行為に基づく損害賠償請求をしました。

B:その「経済的利益ないし価値を排他的に支配する財産権」って何なんだい。

A:「パブリシティ権」といわれている権利です。

B:何?その「パブリシティ権」って

A:いろいろな人がいろいろなことをいうので、端的にいうのは難しいのですが、おニャン子クラブ事件の高裁判決【東京高判平成3年9月26日判タ772号246頁】によれば、「固有の名声、社会的評価、知名度等を獲得した芸能人の氏名・肖像が持つ顧客吸引力」をそのような「名声、社会的評価、知名度等から生ずる独立した経済的な利益ないし価値」として把握したものを、「パブリシティ権」という財産権として位置づけるということになると思います。

B:特に明文の定めはないのかい?

A:ありません。アメリカでも、1930年代から徐々に判例法の中で形成されてきたわけですし、日本でも、マーク・レスター事件地裁判決【東京地判昭和51年6月29日判タ339号136頁】以来、一種の判例法で認められてきたのです。

B:でも、アメリカは判例法主義の国だからそれでいいかも知れないけど、日本のような成文法主義の国ではそれではまずいんじゃないの?

A:そんなこといいだしたら、プライバシー権だって、明文の定めはないのですよ。

B:それはそうだけど、佐藤幸治先生を除いては、いちおうプライバシー権の場合、一応憲法第13条から導き出すじゃない?パブリシティ権の場合、憲法論に遡ってもいいから、成文法の根拠付けをしてやろうっていう人はいないの?

A:プライバシー権の一態様だという方もおられるようで、その場合はおそらく憲法13条で根拠づけるのでしょうが、ただ、そうすると、パブリシティ権を人格権的に捉えなければならなくなりそうですね。でも、それだと、実務の流れとは少しずれていそうな気がします。実際には、民法第709条一本で押し通すことが多いようです。一応、民法第709条にいう「権利を侵害した」とは、「○○権」として名付けられる「権利」を侵害した場合に限られず、そこには至らない程度の経済的・財産的利益を侵害した場合でも良いことになっていますから。日本の不法行為法の懐の広さ・・・ですね。

B:でも、パブリシティ権って、聞いていると、一種の対世的な権利なんでしょう?それを判例法で勝手に認めてしまうのって、物権法定主義に反しない?

A:でも、温泉権とか認められていますから・・・。

C:まあまあ、清水先生なども、「こうした権利が主として現に経済的利益が享受されているという理由で、判例法により形成されることについては異論がないわけではない」 【清水幸雄「芸能人のパブリシティ──「おニャン子クラブ」事件控訴審判決──」駿河台法学6巻1号77頁】としているし、私も清水先生のもつ違和感に賛同するのだけど、パブリシティ権という概念を認めること自体は、下級審レベルでは固まっているから、とりあえず、パブリシティ権を認める前提で話を進めていった方がいいと思うよ。この事件でも、裁判所は、パブリシティ権という概念自体は認めたんでしょ?

A:ええ。この裁判例の場合、顧客誘因力の内容を「著名人に対し大衆が抱く関心や好感、憧憬、崇敬等の感情が当該著名人を表示する氏名、肖像に波及し、ひいては当該著名人の氏名、肖像等と関連づけられた商品に対する関心や所有願望として大衆を当該商品に向けて吸引する力」と詳細に説明しているところ、「パブリシティ権」を「著名人がその氏名、肖像その他の吸引力のある個人識別情報の有する経済的利益ないし価値(パブリシティの価値)を排他的に支配する権利」と定義しているところあたりが、特徴的です。

B:わかった。でも、おニャン子クラブ事件にしてもマークレスター事件にしても、パブリシティ権っていうのは芸能人について発生しているんだよね。

A:芸能人には限らないんです。例えば、王貞治記念メダル事件【東京地決昭和53年10月2日判タ372号97頁】では、野球選手についてパブリシティ権が認められているわけですし。

B:そりゃ野球選手は厳密にいえば芸能人とはいえないかも知れないけど、でも著名人ってことではあまり関係ないじゃない。

C:でも、そこはそう簡単な話ではないんだと思うよ。例えば、土井晩翠は、間違いなく「著名人」といって差し支えないはずだけど、パブリシティ権を認めてもらえなかったわけだしね【横浜地判平成4年6月4日判時1434号116頁】。単に、その氏名や肖像に顧客誘因力があるというだけでは足りなくて、積極的に自分の氏名や肖像が顧客誘因力を持つようにいろいろ手を打っている人に限るんじゃないかなあ。土井晩翠事件地裁判決でも、「詩人は、一般の詩作や外国の文学作品を翻訳するといった創作的活動に従事し、その結果生み出された芸術作品について、社会的評価や名声を得、印税等として収入を得る反面、氏名や肖像のもつ顧客吸引力そのものをコントロールすることによって経済的利益を得ることを目的に活動するものではなく、また、その氏名や肖像が直ちに顧客吸引力を有するわけではない」として、「晩翠が生前自己の氏名や肖像のもつ顧客吸引力により経済的利益を得、また得ようとしていたと認めることはできないから、晩翠の氏名、肖像等についてもパブリシティの権利が発生するとは到底認められない」としていますね。

B:すると、そうではない人は勝手に肖像等を使われても構わないわけ?

C:そうじゃないよ。芸能人と違って、「自己の氏名・肖像が知られることにより評価が高められることを望んでいると推認」できないわけだから、肖像権侵害ということでいけるでしょ。

B:でも、肖像権侵害だと、単なる人格権侵害だから、賠償金の額はかなり低くなるんじゃないの?

C:まあ、人格権侵害だから、慰謝料だから、安くてもいいんだっていう実務自体がおかしいのだけど、それはともかくとすれば、芸能人の肖像が勝手に使われた場合と、芸能人でない人の肖像が勝手に使われた場合とで、芸能人の場合の方が賠償金が高いっていうこと自体はしょうがないんじゃないかな。

A:私は、内藤篤先生【内藤篤=田代貞之「パブリシティ権概説」177頁(木鐸社・平11)】のように、芸能人系有名人のように「権利主体性」の強い者と非芸能人系有名人のように「権利主体性」の弱い者とに分けた上で、前者の場合は「弱い侵害行為」でも権利侵害が成立するけれども、後者については「強い侵害行為」がなければ権利侵害が成立しないという考え方に魅力を感じます。

B:なんか、わかったようでわからない見解だなあ。
 でも、どちらにせよ、パブリシティの価値を有するのは、有名「人」に限られるんだよね。

A:しかし、名古屋地裁は、競走馬について「パブリシティの価値」があると判示しました。

B:えっ、なんで?

A:「大衆が、著名人に対するのと同様に、競走馬などの動物を含む特定の者に対し、関心や好感、憧憬等の感情を抱き、右感情が特定の者の名称等と関連づけられた商品に対する関心や所有願望として、大衆を当該商品に向けて吸引する力を発揮してその販売促進に効果をもたらすような場合においては、当該物の名称等そのものが顧客誘因力を有し、経済的利益ないし価値(パブリシティの価値)を有するものと観念されるに至ることもあると思われる」と判示しています。それと、プロ野球の球団や選手名等、Jリーグのクラブ名、選手名等をゲームソフトで使用するには、日本野球機構や日本プロサッカーリーグに一定額の使用許諾料を支払う約束をしており、プロ野球選手やJリーグのサッカー選手にパブリシティ権があることの現れであるとも判示しています。

B:でも、プロ野球選手やJリーガーのことは関係ないんじゃないのかなあ。彼らは「人」なんだし。

A:その後の部分では、「著名人について認められるパブリシティ権は、プライバシー権や肖像権といった人格権とは別個独立の経済的価値と解されているから、必ずしも、パブリシティの価値を有する者を人格権を有する『著名人』に限定する理由はないものといわなければならない」と判示しています。

C:そこのところは理解可能ですね。ニンマー以来の、内藤先生が「万物属性アプローチ」と呼ぶ考え方【内藤篤=田代貞之「パブリシティ権概説」26頁(木鐸社・平11)】ですね。

B:でも、そうすると、商標法とか、不正競争防止法の著名商品表示等に関する規定なんか意味がなくなっちゃうんじゃない?

A:そこのところは「商標法、商法、不正競争防止法、著作権法など現行の知的財産権法による権利だけでは、前記経済的価値の保護に十分ではない」と判示しています。

B:でも、それは理由になっていないよね。「商標法、商法、不正競争防止法、著作権法など現行の知的財産権法による保護」の範囲の外にあるものは、排他権の対象とはならない、つまり、みんなが自由に使用して構わないんだと考えるのが普通だよね。

C:そこは、この裁判例の問題点の一つではあるよね。で、芸能人のパブリシティ権は、特に契約等がなければその有名人に帰属するわけだけれども、競走馬の場合は、誰にパブリシティ権が帰属すると判示しているのかい?

A:各競走馬の所有者に帰属するといっています。

B:でも、確か、顔真卿事件最高裁判決【最判昭和59年1月20日民集38巻1号1頁】では、所有権というのは、無体物を直接支配する権能までは含まないと明確に判示していたよね。例えば、ゲームソフトのなかでオグリキャップの名前が使われていようと、その所有者が「オグリキャップ」という「物」を使用する上で何の妨げにもなっていないんだから、おかしいよね。

A:名古屋地裁も、「パブリシティ価値は、所有権の内容の一部であるとは観念できず、所有権とは別個の性質の権利であると解するよりほかない。」と判示しています。

B:じゃ、なんで所有者に帰属することになるの?

A:「ただし、パブリシティ価値は、あくまで物自体の名称等によって生ずるのであり、所有権と離れて観念することはできないものといわざるを得ず、所有権に付随する性質を有するものと解される」と判示しています。

B:なんでそんなこといえるの?著名商標の顧客誘因力は、その商標が付された商品の所有権と離れて観念できるわけでしょ?それと同じじゃないの?

A:・・・・。

B:そもそも所有権が存在しない架空のキャラクターの場合は?

A:・・・・。

C:ええと、競走馬が譲渡された場合、そのパブリシティ権はどうなるんだろう。

A:裁判所は、「所有権が移転した場合には、特段の合意がない限り、移転の日以前の分は以前の所有者に残るが、以後のパブリシティ権は新所有者に移転する」としています。

C:では、競走馬が死んだ場合は?

A:「物に関するパブリシティ権は、対象が消滅した場合であっても、パブリシティ価値が存続している限り、対象が消滅した時点における所有者が、パブリシティ権を主張できるものと解する」と判示した上で、死亡時の所有者にパブリシティ権が帰属するとしているようです。

B:でも、それはおかしいんじゃないかな。馬のような動物は、生きていようといまいと、民法上は「物」として扱われるわけだから、死亡=消滅ではないはずだよ。例えば、死亡した名馬を剥製にして、財団法人なんとか記念館に寄付した場合、その何とか記念館にそのパブリシティ権が帰属するんじゃないの?

C:それはともかく、所有権に付随するといいながら、所有権が消滅しても存続するというのは、論理的には苦しそうだね。

B:で、所有権が消滅してもパブリシティ権は存続するとなると、いつまで存続しつづけるんだい?まさかいつまでも存続しつづけるわけじゃないだろうね。著作権や商標権だって、存続期間が決まっているんだから。

A:「物のパブリシティ」については、いままで認められると思われていなかったので、あまり議論がなされてこなかったようです。著名人のパブリシティ権についても、それほど議論がさかんというほどでもなくて、著作権法51条2項の趣旨を類推して、本人の死後50年というのが有力なようです。

C:内藤先生がその見解に立っているようだね【内藤篤=田代貞之「パブリシティ権概説」203頁(木鐸社・平11)】。まあ、アメリカには成文法で存続期間を定めている州もあるんだけど、日本にはそういう法律がないから、難しいところなんだよね。実際、解釈論としては存続期間を論ずることは不可能であり、信義則や権利濫用論によって画すよりほかないという見解もあるほどなんだ【竹田稔「〔増補改訂版〕プライバシー侵害と民事責任」288頁(判例時報社・平10)】
 ただ、一方で、それが依然高い顧客誘因力を維持しているときに、「もうパブリシティ権は消滅している」なんてことを、裁判所が制定法の根拠もなしにいえるのかという疑問もあるんだよね。だから、牛木先生のように、「その人物のパブリシティの権利の存続は、その人物の肖像や名前が商品や業務に関連して営利的に利用されなくなった時をもって自然消滅すると考える方が、衡平であるというべきではないだろうか」【牛木理一「商品化権」(六法出版社・昭55)】という見解が出て来るんだろうね。

B:ところでさ、競走馬ったって、高い顧客誘因力を有している馬なんて、ほんと例外なんじゃないの。ここでいう「顧客誘因力」って、「この馬の馬券を買っておけば当りそうだから買っておこう」って意味の誘因力ではなくて、例えばキャラクタ商品に使えるとかそういうことなんでしょう?

A:名古屋地裁は、「重賞レースは、その一部がテレビ・ラジオで実況されたり、スポーツニュース等で放送されるものであり、雑誌でも取り上げられ、G1レースについては、いわゆるスポーツ新聞以外の一般新聞においても取り上げられることがあることは明らかである。したがって、少なくともG1レースに出走したことがある競走馬についていえば、大衆がこれらマスメディアを通じて認識し、これに関心、好感、憧憬等の特別な感情を抱く場合もあり得る」し、本件ゲームは「1000頭にも及ぶ実在馬について、それと同様の特徴を備えた競走馬を操作して遊ぶことができることをセールスポイントとしていることから、顧客としては、自ら関心、好感、憧憬の感情を抱いた競走馬を自ら操作できるとして、その馬名が当然あるものとして(あるいはそれがあると認識して)本件閣ゲームソフトを購入するものと解される」ので、「本件各競走馬のうち、G1レースに出走したことがある馬については、顧客吸引力があるものと解される」と判示しています。

B:でも、G1レースに出走する馬ったって、本当に注目されているのなんてほんとに一握りしかいないんだけど、裁判官にはそういうことわからないのかなあ。「その馬の名前が入っているからそれを買いたい」なんていう気持ちにさせるのは本当に例外中の例外だよね。オグリキャップやトウカイテイオウなどの超人気馬以外の馬は、それらが全て含まれていることによってリアリティを高めているだけだよね。山手線をモデルにしたゲームだったら、巣鴨や西日暮里を入れないとリアリティを損ねてしまうから入れるというのと一緒だよね。別に、西日暮里に「自ら関心、好感、憧憬の感情を」抱き、西日暮里で電車を発停止したいから、山手線をモデルにしたゲームを買うわけではないんだよね。

C:確かに、この「G1レースに出走したかどうか」でわける名古屋地裁の判断は、評判が良くないね。「リアリティを醸し出す」役割しか持たないものまで、顧客が「関心、好感、憧憬の感情を抱い」ているとするのは論理の飛躍ですね。

B:さっきの土井晩翠事件地裁判決の基準に従うならば、競走馬は、レースに勝って賞金を獲得するために活動しているのであって、「氏名や肖像のもつ顧客吸引力そのものをコントロールすることによって経済的利益を得ることを目的に活動するものではなく、また、その氏名や肖像が直ちに顧客吸引力を有するわけではない」わけだから、パブリシティ権を認めるのはおかしいよね。

C:まあ、オグリキャップなどのような超人気馬については、人形などのキャラクター商品が売られているので、そ「の氏名や肖像のもつ顧客吸引力により経済的利益を得、また得ようとしていたと認めること」ができるかも知れませんが、G1出走馬とはいえども、ほとんどの競走馬についてはそんなことしていませんからね。

B:それに、「ギャロップレーサーII」を買う段階では、どのような実際の競走馬がゲームの中で使用されているかはわからないんでしょ?

C:裁判所の認定では、「騎乗可能な馬は1000頭以上。このなかにはトウカイテイオウやナリタブライアンといった名馬たちはもちろん、ラガービッグワンやドングリといったマニアックな馬も多数登場!」とパンフレットに書いてあるくらいのようですね。

A:この点、名古屋地裁は、「ガイドブックを見れば、どのような馬が登録されているか分かるものであり、パッケージを開けなくても、中にどのような馬が登録されているか知り得るのであ」ると認定しています。さらに、「一般に、ゲームソフトは多数発売されているものであり、購入者がどのソフトを購入するかどうか決定する際には、テレビ・ラジオ等の宣伝・広告のみでなく、各種の雑誌においてその内容を含めて紹介されることもあり、店頭においてデモンストレーションとして置かれることもあり、また、他人の購入したゲームソフトを利用したり、いわゆる人づてで情報が伝わることも十分あ得るのであって、被告が主張するように、何ら事前知識がない状態で購入することはまれであると解される」と判示しています。

B:でも、それは「そうやって購入する人もいる」という程度のことでしょ。人気ソフトなんかだと、発売前の予約だけで100万本超えてしまうんだけど、そんなことも知らないのかなあ。そういうユーザーって、当然ガイドブックが出る前に予約を入れているから、当然、「買おう」という意思決定時には、ガイドブックに記載されている情報なんか見ていないよ。もっといってしまうと、ガイドブックを購入したり、立ち読みしたりした上で、そのソフトを購入するかどうか決めるとか、事前にゲーム雑誌をチェックして購入したりするっていうのは、かなりコアなゲーマー達くらいなものだよね。

C:まあ、裁判官にそういうことを期待してもねえ。それはともかく、そのゲームの主要な特徴くらいしか事前知識を持たずにゲームを購入するユーザーの方が圧倒的に多いですよね。「ギャロップレーサーII」についていえば、騎手となって、競走馬を走らせて勝負を競うゲームであることや、選択可能な競走馬の中には、トウカイテイオウやナリタブライアン等の実際の競走馬が含まれていることくらいは分かるけれども、例えばG1出走馬のうちどの競走馬が選択可能であり、どの競走馬は選択可能ではないかなんて情報までは事前知識として把握していないでしょうね。

B:で、もっと根元的なことを聞いてもいいかなあ。

A:なんですか?

B:例えば「ギャロップレーサーII」というゲームの中に「ナリタブライアン」という名前の馬データが入っていると、なぜ「ナリタブライアン」の顧客吸引力を侵害したことになるの?

A:顧客吸引力なり「パブリシティの価値」がどのような侵害を受けたかについて、名古屋地裁は明確には判示してはいないのですが、損害額に関する判示部分を見る限り、ロイヤリティ相当の金員を取得できなかったことを損害と捉えているように思います。

B:でもさ、特許法や著作権法などにおいて、ライセンス相当の金額が損害金として認められるのは、あくまで明文のみなし規定があるからでしょう。それに、裁判所は、準事務管理的な構成をとらないのだから、Yが「ギャロップレーサーII」を発売したことによって得た利益ないし収入を基準に損害額を決めるのっておかしいんじゃないのかなあ。

C:確かに、損害の認定あるいは損害額の算定に関して明文の規定がない以上、不法行為法の原則に立ち戻らなければならないかも知れないね。

B:そうだとすると、Yが「ギャロップレーサーII」を発売しなければXが得られていたであろう利益が、Yが「ギャロップレーサーII」を発売することでその顧客吸引力を失い、Xにどのような損害を与えたのかをきちんと説明しない等いけないよね。例えば、「ギャロップレーサーII」の中で馬名が使われてしまったために、ナリタブライアンに対する顧客の「関心、好感、憧憬の感情」が失われ、顧客誘因力が後退したっていうなら分かるのだけど、そういうことではないんだよね。

A:「パブリシティ権の侵害」っていうのはそういうことではないんですよ。その氏名や肖像の持つ顧客誘因力を他人に利用させないすなわち排他的に利用する権利なのですから。アメリカの判例でも、野球選手の氏名と戦績を利用したボードゲームを発売したことをパブリシティ権の侵害としています。

B:すると、スポーツ新聞などで野球選手の氏名や戦績を掲載したり、競馬新聞で競走馬の馬名や戦績を掲載したりするのも「パブリシティ権の侵害」になってしまうのかい。そうすると、野球選手や競走馬について、商業誌などでは何もいえないですね。

C:まあ、著名人の氏名や肖像等が他人の商売に利用されることを全て禁止できるというわけでもないのです。例えば、中田英寿事件地裁判決 東京地判平成12年2月29日判タ1028号232頁でも、「他人の氏名、肖像等の使用がパブリシティ権の侵害として不法行為を構成するか否かは、具体的な事案において、他人の氏名、肖像等を使用する目的、方法及び態様を全体的かつ客観的に考察して、右使用が他人の氏名、肖像等の持つ顧客誘因力に着目し、専らその利用を目的とするものであるかにより判断すべき」としています。だから、スポーツ新聞などは大丈夫でしょう。

B:ところで、今買ってしまわないと、もう「ギャロップレーサーII」は手に入らなくなってしまうのかい。

A:名古屋地裁は、Xの差止め請求は棄却しましたから、そういうことはないです。

B:権利侵害なのに、どうして差止め請求が棄却されるの?「パブリシティ権」って排他的権利であるのに、差止め請求までは認められないの?

A:いえ。「人」のパブリシティ権の場合は、例えばおニャン子クラブ事件高裁判決【東京高判平成3年9月26日判タ772号246頁】なんかもそうですが、侵害行為の差止め請求を認めています。でも、名古屋地裁は、「物」のパブリシティ権については、差止めは許されないとしています。

B:どうして?

A:「差止めが認められることにより侵害される利益は多大なものになるおそれがあり、不正競争防止法による差止請求権の付与など、法律上の規定なくしては、これを認めることはできず、物権や人格権、知的所有権と同様に解するためには、それと同様の社会的必要性・許容性が求められる。
 ましてや、物権法定主義(民法175条)により新たな物権の創設は原則として禁止されているのであり、所有権と密接に関わる権利である物についてのパブリシティ権は、慎重に考える必要がある。
 結局、物のパブリシティ権が経済的価値を取得する権利にすぎないことを考慮すると、現段階においては、物についてのパブリシティ権に基づく差止めを認めることはできないものと解する。」と判示しています。

B:一般論を述べている部分は賛成なんだけど、この論理で行くと、「物」についての「差止請求権」のみを認められないとするのは、無理があるんじゃないかなあ。

C:確かに、大上段の議論を繰り広げている割には、説明が足りないような気はするね。この事件は、控訴されているから、控訴審ではわかりやすい議論をしてもらいたいですね。