ときめきメモリアル事件高裁判決

First Uploaded in 1999/10/25

一. はじめに

 買ってきた商品をどう使うのか、メーカーにとやかくいわれるとしたら、どのように感じるでしょうか。多くの人は煩わしく感じるのではないでしょうか。特に、それがおもちゃだとしたら、「好きなように遊ばせてくれよ」と感じるのではないでしょうか。

 もちろん、ほとんどのメーカーは、安全上の問題がなければ、その商品を消費者がどう使おうととやかくいわないでしょう。安全上の問題にしても、メーカーが指示したとおりに使わなかったために事故が起こっても責任を負わないというだけで、メーカーが指示した以外の方法で消費者がその商品を使用することを、積極的に阻止しようとはしないでしょう。

 しかし、コンピュータ・ゲームの場合、そうではないようです。メーカーが想定しないパターンでユーザーがゲームをプレイすることを極度に嫌っているようです。そして、そのようなパターンでのプレイを可能にした商品を販売したサードパーティーに対して訴訟を起こしたケースが見られるようになりました。例えば、三国志III事件[注1]においては、初期設定を標準のシステムよりも容易かつ自由にできるようにする小さなプログラムが問題になりました。ネオジオ事件[注2]においては、連射機能を有するコントローラーが問題となりました。ときめきメモリアル事件[注3]においては、クリア直前の情報データ等を記録したメモリーカードがやり玉に挙がりました。

 このようなメーカー側の要求は、これまでずっと棄却され続けてきました。しかし、大阪高等裁判所は、メモリーカードの輸入・販売を違法なものと認め、輸入販売店に対して損害賠償を命じました。

二. 何が起こったのか?

 「ときめきメモリアル」というゲームをご存じでしょうか。きらめき高校の一生徒として3年間の高校生活を過ごし、卒業式の日に、あこがれの女生徒から愛の告白を受けることを目指すという「恋愛シミュレーションゲーム」の草分けです。このゲームは発売されるや爆発的なヒットを記録しました。様々なプラットフォームに移植された[注4]だけではなく、たくさんのキャラクター商品が生み出され、登場キャラクターの一つである「藤崎詩織」等はCDデビューを果たしてしまうほどの人気だったのです。

 ゲームの舞台は、1995年4月4日に始まります。ユーザー=主人公は、9つの表パラメータをもっています。体調・文系・理系・芸術・運動・雑学・容姿・根性・ストレスがそれです。メーカーが出荷した時点では、体調 100、文系 40、理系 40、芸術 40、運動 40、雑学 32、容姿 60、根性 5、ストレス 0という値が設定されています。そして、お目当ての女子学生ごとに、告白されるためのパラメータ条件が決まっています[注5]ので、この条件をクリアするために、様々な活動(コマンド)を行い、パラメータを変化させていくのです。しかも、例えば、文系のパラメータ・データをアップさせるために文系コマンドを選択すると、体調・運動・容姿・根性のパラメータ・データがダウンしてしまうというように、「あちらを立てればこちらが立たない」ようにゲームが組み立てられています。しかも、女生徒の告白を受けるためには、デートの回数・中身、学校行事(テスト、体育祭、文化祭等)への取組みの中身、健康状態(ノイローゼや病気のチェック)、同伴下校やプレゼントの中身、他の女生徒の評価などの諸要素等の隠しパラメータにも気を配らなければなりません[注6]。ですから、日曜日に勉強ばかりしてデートなどを怠っていると、表パラメータが如何に高い数字となっても、愛の告白を受けられないことになります。

 「ときめきメモリアル」というゲームは、このように複雑なゲームですから、当然普通の人は、1日でクリアするというわけにはいきません。パラメータ・データを何かに記録することになります。プレイステーションの場合、メモリー・カードという汎用の記憶媒体が用意されているので、ここにパラメータ・データを記録することになります。

 この「ときめきメモリアル」というゲームは結構難しいゲームです。女生徒、特にメインキャラクターである「藤崎詩織」から愛の告白を受けることがどうしてもできないユーザーもたくさんいます。そのようなユーザーは、より簡単に女生徒から愛の告白を受けたいと考えるわけです。公式ハンドブックでさえ、主人公の名前を「コナミマン」とすれば、最初から全てのパラメータが573という高い状態でゲームを始められることを示して、そのような要請にある程度応えようとしていたほどなのです。

 こういうとき、サードパーティーというのは恐ろしいものです。特定の女生徒から告白されるのにふさわしい、高いパラメータ・データが記録されたメモリーカードを輸入して、販売するものが現れました。それがこの事件の被告・被控訴人であるスペック・コンピュータです。そして、これを快く思わなかった「ときめきメモリアル」の開発元であるコナミは、このようなメモリー・カードの販売は、コナミの「ときめきメモリアル」についての著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものとして、損害賠償及び謝罪広告の掲載を求めて訴えを提起しました。

三. 保護されるべき対象は何?

 この場合、何が、同一性が保持されるべき著作物(=表現)であり、何が改変されたのでしょうか。

 CD−ROMに記録された「ときめきメモリアル」の実行プログラムは、立派な著作物です。しかし、スペック・コンピュータが販売しているメモリー・カードをプレイステーション本体に挿したからといって、「ときめきメモリアル」の実行プログラムは何ら改変されていません。

 「ときめきメモリアル」の実行プログラムにより生成されるパラメータ・データはどうでしょうか。
IBFファイル事件高裁決定[注7]によれば、「電子計算機によるプログラム処理に当たり、あるシステムにおけるプログラムを稼働させ一定の処理をさせるためには、そのプログラムの他、それに処理情報を与えるデータが必要であるが、システムの効率上、データを本体プログラムとは別個のファイルに記録させることがよく行なわれる。その場合、該ファイルは、プログラムに読みとられその結果電子計算機によって処理されるものではあるが、電子計算機に対する指令の組み合わせを含むものではないので、著作権法上のプログラムではない」とされています。「用いられるファイルが異なれば電子計算機の処理結果が異なることになるが、それはファイルに記述されたデータの内容の違いによるものであって、それをもって、データが電子計算機に指令を与えているということができないことは当然である」としているのです。
 この裁判例に従うならば、「ときめきメモリアル」の実行プログラムにより生成されるパラメータ・データは、プログラムがそのデータを読みとって所定の処理を行なうに過ぎず、パラメータ・データ事態が独立して電子計算機に対して指令を行なうわけではありませんから、そのようなパラメータ・データは「プログラムの著作物」にはあたらないということになります。

 では、モニターに映し出される連続影像群はどうでしょうか。
 思想又は感情を創作的に表現した連続影像群が「著作物」にあたることは、ほぼ争いがありません。同一性保持権はどの著作物類型についても等しく認められる権利ですから、その著作物が「映画の著作物」なのか単なる「映像著作物」なのかを論ずる実益はありません。
 個々のイベント場面ごとの連続影像群についていえば、問題のメモリーカードを挿した場合でも、コナミが用意したものがそのまま使われます。従って、これが改変されたということはできそうにありません。
で は、ゲーム開始(入学式の日)からゲーム終了(卒業式の日)までの一連の連続影像群(以下、単に「一連の連続影像群」といいます。)についてはどうでしょうか。「ときめきメモリアル」というゲームは、他のほとんどのゲームと同様に、多種多様(無限ないしそれに近い)な種類の「一連の連続影像群」をモニターに表示させる可能性をもっています。しかも、あるプレイヤーがゲームをプレイすることによってモニターに表示されたその具体的な「一連の連続影像群」は、そのプレイヤーによる具体的なコントローラの一連の操作によってはじめて生まれるものです。ですから、スペック・コンピュータが販売したメモリーカードに記憶されているデータを読み込むことによって画面に表示されるに至った具体的な「一連の連続影像群」というのは、元々あった具体的な「一連の連続影像群」を改変したものでないことは明らかであるといえます[注8]

 大阪高裁は、結局、本件メモリーカードは、「ゲーム映像」の著作物としての同一性を侵害したものとして、コナミの請求を認めました[注9]

  1.  ただし、「ゲーム映像の著作物」とはどのようなものをいうのかについては、「データに保存された映像や音声をプログラムによって読み取り再生した上、プレイヤーの主体的な参加によってはじめてゲームの進行が図られる点で、『映画の著作物』と『プログラムの著作物』が単に併存しているに過ぎないものではなく、両者が相関連して『ゲーム映像』とでもいうべき複合的な性格の著作物を形成しているものと認めるのが相当である」と判示するだけで、どのような種類の表現に着目した概念なのか、どの部分が「創作的な表現」に当たるのかを判示していません[注10]。したがって、「ときめきメモリアル」が「ゲーム映像」の著作物に当たるとしてみても、そのことから直ちに、同一性を保持すべき対象が何なのかはわからないのです[注11]

  2.  大阪京高裁は、「主人公の人物設定」すなわち表パラメータ及び隠しパラメータの初期設定値が、「ゲーム映像」の著作物の「主要な構成要素に当たる」と判示しました。しかし、その理由は、判文上明らかではありません。

  3.  また、大阪高裁は、「プレイヤーによって作り出され蓄積されるセーブデータは、プログラムとは別個独立に截然と区別されて存在する単なる数値ではなく、制作者が初期設定の数値によって表した主人公の人物像(能力値)を変化させ、それに応じたゲーム展開を表現するための密接不可分の要素として構成されて」おり、「コマンドの選択に関連づけられた各能力項目の数値の加減は、本件ゲームの本質的な構成部分」に当たるとしています。

  4.  また、高裁判決は、本件メモリーカードを用いることによって、入学直後の主人公の能力値が極めて高いものに改変される結果、「入学当初から本来はあり得ない女生徒が登場」することになる点も、「ストーリー展開に顕著な改変」がなされたものとして認定しています。

  5.  その一方で、「ゲームバランス」すなわち「プレイヤーは勉学・運動・容姿等を表す数値間にバランスをとり、かつ、表パラメータと隠しパラメータとの連繋を考えながらコマンドを選択しなければならないこと、あるいはゲームの進行がそのように構成されていること」は「ゲームの設計、ゲームのアイディア」に過ぎず、これが直接著作物として著作権法上保護の対象になるとはいえないとしています。

  6.  このように高裁判決の判示事項を並べても、「ゲーム映像の著作物」が、どの点に創作性を見出されているのかがはっきりとしません。「主人公の人物像」(本件でいえば、「高校入学直後は平凡な普通の高校生」であるということ)が「ときめきメモリアル」というゲームソフトの「ゲーム映像の著作物」としての側面における本質的な要素だとするならば、これを具体的に数値化して表したパラメータ・データこそが著作物たる表現の中核とならざるを得ないようにも思えます。しかし、そうだとすると、「ゲーム映像の著作物」性を認めるに足りるだけの「創作性」の有無を判断するに当たっては、そのパラメータ・データ自体に創作性があるかどうかということを判断することになりますし、メモリー・カードに記録されたパラメータ・データが、「ときめきメモリアル」のCD−ROMに記録されているパラメータ・データ、あるいは「ときめきメモリアル」をプレイしていく中で自然に生成されるパラメータ・データを「改変」したものといえるかどうか[注12]という点を検討しなければならないように思います。しかし、高裁判決はそのような検討はしていないようです。

  7.  また、ゲームソフトのプログラム部分とパラメータ・データを記録した部分との組み合わせ、ないしこの組み合わせによって生成されうる「一連の連続影像群」全てを包括したものを「ゲーム映像の著作物」ととらえているのではないかとも考えられます[注13]。しかし、その場合、例えばQuickTime等の動画再生プログラムと動画データファイルとの組み合わせによって生成される一連の連続影像群について、動画データファイルが異なれば全く別個の著作物とされていることとパラレルに考えるならば、パラメータ・データが全く異なるのであれば同じゲームプログラムを用いていても全く別個の著作物であると考えるのが筋ではないかとも思います[注14]。この場合、新たなパラメータ・データとの組み合わせで生成される「一連の連続影像群」が、オリジナルのパラメータ・データとの組み合わせで生成されうる「一連の連続影像群」の一つとして取り扱われており、かつ、オリジナルのパラメータ・データを読み込んでもその「一連の連続影像群」は生成され得ないという場合にはじめて、同一性保持権侵害を認めることができると思います。

 このように「パラメータ・データ」の改変を問題とするのではなく、モニター上に映し出される一連の連続影像群に現れている「ストーリー」が、予め予定された「ゲーム展開の幅」を超えている場合、この「ゲーム展開の幅」とはどの範囲を指すものと判断したらよいのかという問題が発生します。
 これまでは、当該プログラムを実行することによって生成される一連の連続影像群は全て予め予定された「ゲーム展開の幅」の範囲内とされており、標準のパラメータ・データを使わなかったり、標準のコントローラーを使わなかったことによって、標準のものを使っていたのでは決して生成されなかったであろう一連の連続影像群が生成されても、それは幅の範囲内であるとしてきました。しかし今回の高裁判決は、この下級審の流れとは正反対の判断、すなわち、あくまでコナミが用意した初期設定の下でプレイをすると発生しうる連続影像群の範囲のみを「予定されたゲーム展開の幅」としているようにも見えます。それ以外のパラメータ・データを読み込むことを禁止するチェック・ルーチンが、ゲーム・プログラムに組み込まれていないことをも全く重視しません。この点は、光栄の側で用意した武将登録プログラム以外のプログラムで作成されたパラメータ・データ(NBDATA)の数値を受け付けないというガードが組み込まれていないことを、「ユーザーが自由になし得る範囲」を画する一資料として用いた三国志III事件の高裁判決と大きく異なるところです。

四. 「私的」な改変もアウト?

 ときめきメモリアル事件の高裁判決は、「本件メモリーカードを使用して本件ゲームソフトのプログラムを実行することが本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害するものであり、そのようなゲームを行っている者は個々のプレイヤーである」と判示しています。しかし、個々のプレイヤーが自分で楽しむために、「予定されたゲームの幅」を超えた一連の連続影像群を表示させた場合に、個々のプレイヤーは同一性保持権を侵害した責任を負うことになるのでしょうか。

   著作権法第19条、第50条を文理解釈すると、責任を負うかのようにも見えます。ですから、高裁判決が、この点につき何のためらいもなく判示したのは無理もないとはいえるでしょう。しかし、そうだとすると、模範六法をバラバラにして司法試験の出題範囲分だけピックアップして閉じなおして使ったり、鼻歌混じりで替え歌を歌ったりすることが、著作者人格権侵害行為となってしまいます。その結論は、およそ受け入れがたいものです。したがって、学説はこのような不合理を回避するために、さまざまな模索を行っています[注15]

 同一性保持権というのは、著作者の精神的・人格的利益の保護のために法律によって認められた権利です。ですから、厳密にいえば著作物の改変にあたる場合であっても、それが著作者の精神的・人格的利益を害しない程度のものであるときは、同一性保持権の侵害とはならないという見解[注16]があります。では、私的に使用するために改変を行うことは、著作者の精神的・人格的利益を害しない程度のものであるといえるのでしょうか。
 この問題は、同一性保持権、ひいては著作者人格権の根拠論とも関係してくる問題です。私は、著作者人格権は、その著作物による著作者の社会的評価の変動を一定の限度でコントロールすることにその本質があると考えています。同一性保持権に関していえば、自分が創作した「A」という作品とは異なる作品が「A」として公表されていた場合には、「A」を鑑賞した人から得られたであろう評価とは異なる評価が「A」もどきを鑑賞した人から受けることになるわけで、このようなことを回避する権利を著作者に与えたのが同一性保持権侵害だと考えています[注17]。そうだとすると、「A」を改変して「A」もどきを作成しても、それを「A」として公衆に提供・提示しなければ、「A」という作品によりその著作者が得られる評価が変容する心配はないわけです。その場合、同一性保持権により担保されるべき著作者の精神的・人格的利益は害されていないといえるのではないか──私はそう思います[注18]

 そうだとすると、本件メモリーカードからパラメータ・データを読み込んでゲームをプレイするユーザーは、それにより進行する画面展開がコナミの予定していたものと異なることを知ってプレイしているわけですから、その範囲でとどまる限り、改変がなされたとしても著作者の精神的・人格的利益を害しない程度のものであるから、同一性保持権侵害にあたらないと考えるべきなのだろうと思います。

四. カードを売っただけでも侵害者?

 ところで、ときめきメモリアル事件の被告兼被控訴人であるスペック・コンピュータは、単にメモリーカードを輸入して販売しただけの会社です。本件メモリカードに記録されているパラメータ・データを読み込んで、コナミが予定していないゲーム展開を実現したのは個々のユーザーです。だとすると、コナミがスペック・コンピュータに対し同一性保持権侵害で訴えたのはお門違いのようにも見えます。

 しかし、高裁判決は、著作権法第113条第1項1号・2号を適用して、スペック・コンピューターによるメモリー・カードの輸入・販売行為を著作者人格権の侵害行為と見なす旨を判示しました。すなわち、「本件メモリーカードの制作者は、右行為[注19]に主体的に加功していることは明らかであり、本件メモリーカードの制作者はこれを意図して制作した者であるから、右カードを使用して行なう本件ゲームソフトの改変行為について、制作者はプレイヤーを介し本件著作物の同一性保持権を侵害するものということができ、これを購入した者は本件メモリーカードを使用して本件ゲームを行なったものと推認できるから、制作者はプレイヤーの本件メモリーカード使用の責任を負うべきものというべ」きであるとした上で、「右改変をするメモリーカードの輸入、販売をした被告も著作権法第113条1項1号・2号より同一性保持権侵害の責任を免れない」としています。

 まず、著作者人格権侵害に利用される機器・ソフトウェアを制作することは、著作権法上、どのように評価されるべきなのでしょうか。
 著作権法には、特許法第101条のような間接侵害に関する規定はありません[注20]。そして、特許法第101条の規定は、「クレームを直接に侵害しなくとも、そのような行為を放置しておくと侵害を誘発する蓋然性が極めて高く、かつ侵害が生じてからではそれを補足することが困難となることも多いために設けられた規定」[注21]であり、予備的・幇助的行為が特許権侵害行為に含まれることを確認した規定ではありません。したがって、特許法第101条を類推して、間接侵害の法理を、著作権(著作者人格権)侵害の予備的・幇助的行為に適用するのは間違っていると思います[注22]
すると、本件メモリーカードの制作者に責任を負わせる根拠としては、民法第719条第2項によらざるを得ないと思います[注23]。そうだとすると、本件メモリーカードを制作する行為が著作者人格権侵害行為に当たるのではなく、著作者人格権侵害行為(本件メモリーカードを使用しての本件プログラムの実行)という一種の不法行為を本件メモリーカードの制作という行為によって幇助した結果、ユーザーが負うべき損害賠償責任をユーザーに連帯して負うことになったということになろうかと思います。そして、そのためには、各ユーザー一人一人を被告とすることまでは必要がないにせよ、各ユーザーが本件メモリーカードを使用して本件プログラムを実行し、本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害したことを主張立証すべきなのだと思います。

 次に、このメモリーカードを輸入・頒布することは、著作権法第113条第1項第1号・第2号に該当するでしょうか。ここでは、本件メモリーカードが、「輸入の時において国内で作成したとしたならば著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となるべき行為によって作成された物」(第1号の場合)、あるいは、「著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権を侵害する行為によって作成された物」(第2号の場合)といえるかどうかが問題となります。
 本件メモリーカードは、それを作成すること自体がコナミのもつ「ときめきメモリアル」のゲーム映像の著作物としての同一性保持権を侵害するものではなく、それがユーザーに用いられたときにはじめてユーザーによる同一性保持権侵害を幇助することになるものです。したがって、本件メモリーカードを「輸入の時において国内で作成したとしたならば著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権の侵害となるべき行為によって作成された物」ないし「著作者人格権、著作権、出版権又は著作隣接権を侵害する行為によって作成された物」にあたるとして著作権法第113条を適用した高裁判決は法律の適用を誤ったものといわなければなりません。

五. まとめ

 このように見ていくと、ときめきメモリアル事件の高裁判決は、コナミを勝たせるために相当無理をしたという印象を受けます[注 24]。そして、その背景には、「メーカーのお仕着せ」に満足できないユーザーの気持ちに対する無理解があるように思います。