ビデオ・ゲームの中古販売と著作権法

Ver.1.00(Last Modified on 1998/03/12)

第1 初めに

1 家庭用ゲーム市場の現状

 家庭用ビデオ・ゲームは、任天堂のファミリー・コンピュータの爆発的大ヒットを皮切りに、日本の大多数の家庭内に普及しました。日本の家庭用ビデオ・ゲームは、国外においても広い支持を集めました。 
 家庭用ビデオ・ゲームは、商店街の玩具店のみならず、大手量販店や、秋葉原などにあるゲーム専門店などで販売されています。購買層の主流は、男子小中学生です。 
 家庭用ビデオ・ゲームには、他の商品にはあまり見られない次のような特徴があります。ある新商品が発売される前に、ビデオ・ゲーム専門雑誌等に、その新商品の画面サンプルや大まかなルール・目的の解説が掲載されます。そして、新商品が発売されると、その新商品でいち早く遊びたい人々が、販売店に殺到し、新商品(もちろん、新品)を買い求めます。そして、この「ブーム」を過ぎると、その商品の売れ行きは一気に落ちます。一つには、また新たな商品が新発売されるからです。一つにはその商品の中古品が、市場に出回るからです。新発売とほぼ同時に新商品を買い求めた人々が、ひととおり遊び終えたのち、新たな商品を買い求める原資の足しにするために、中古販売店に売却するのです。そして、新発売当初の価格では購買欲が沸かない層が、急落後の価格ならばと、商品を購入します。

2 中古ビデオ・ゲームを巡る利害の対立

 家庭用ビデオ・ゲームは、年々ハード・ソフトとも複雑化していったため、開発に要する費用が年々上昇しています。また、メディア・タイトルも一向に減少しません。しかし、主要な購買層である男子小中学生の購買力はほとんど増加していません。そのため、ゲーム産業に関わる者の間の利益分配をどうするかということが問題となります。 
 家庭用ビデオゲームは、もともとマージン率が高くないことに加えて、大手量販店やゲーム専門店間の価格競争が激しいため、新品の販売では販売店に利益がでないといわれています。ですから、専門店の多くは、新品の販売だけでなく、中古品の販売も手がけることにより、経営を安定化させようとします。 
 しかし、中古品の販売が活発になされても、ゲームソフト製作会社は、何の利益も得られません。かえって、中古品が出回っていなければ新品を買っていただろう顧客を奪われたという不満がたまります。

3 問題の顕在化

 ゲームソフト製作会社とゲームソフトの販売店との間のこのような利害の対立は、最近、次のような形で顕在化しました。 
 一つは、社団法人コンピュ−タエンタ−テインメントソフトウェア協会「CESA」による中古ゲームソフト撲滅キャンペーン(http://www.cesa.or.jp/)です。これは、ビデオ・ゲームは「映画の著作物」であるから、ゲームソフトの中古販売は「頒布権」の侵害にあたり違法なものである(からやめさせよう)というキャンペーンです。これに対しては、弁護士・法学者有志からなる「中古ゲームソフト問題研究会」が右キャンペーンには疑問がある旨を表明しています(http://www.asahi-net.or.jp/~ZG2Y-FJT/copy_r/chuko.html)。 
 もう一つは、公正取引委員会による株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に対する排除勧告(http://www.jftc.go.jp/pressrelease/98.jan/980120.htm)です。SCEが小売店に対して直接又は取引先卸売業者を通じて、@ PSソフトの販売価格の拘束、A PSソフトの中古品の取扱いの制限、B PSハード及びPSソフトの卸売販売の制限、を行っている等として、公正取引委員会は、SCEに対し、独占禁止法第19条(不公正な取引方法(昭和57年公正取引委員会告示第15号)第12項第1号及び第2号(再販売価格の拘束),第13項(拘束条件付取引)に該当)の規定に違反するものとして,同法第48条第1項の規定に基づき,勧告を行いました。SCEはこの勧告に応諾しなかったため、公正取引委員会は、公正取引委員会は、平成10年2月6日、SCEに対し、審判開始決定を行いました(http://www.jftc.go.jp/pressrelease/98.feb/980209.htm)。SCEは、中古品の取扱の制限については、「ソフト著作権の権利保護のため、中古ソフトを支持しないという当社の方針が独占禁止法上違反とされるのであれば、著作権法上違法な中古販売が是認推奨されることになります」(http://www.jdf.co.jp/gt/info/info98012103.html)と反論しています。 

第2 ビデオ・ゲームと映画の著作物

1 初めに

 常識的に考えると、映画とビデオ・ゲームは別物です。しかし、SCEもCESAも、ビデオ・ゲームが著作権法上「映画の著作物」にあたることを前提としています。まず、このことの当否を検討してみましょう。

2 「映画の著作物」の定義

 著作権法上、「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含む」とされています(著作権法2条3項)。つまり、私たちが「映画」といって思い浮かべる劇場用映画でなくても、上記要件を満たすものは「映画の著作物」として扱うものとされているのです。 
 上記要件は、3つの大きな柱から成り立っています。 
 一つは、俗に「表現方法の要件」といわれているものです。条文に即していうと、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること」をいいます。簡単にいうと、映写された影像が動いているように見えることをいうものとされています。 
 もう一つは、俗に「存在形式」の要件といわれているものです。条文に即していうと、「物に固定されていること」をいいます。映画の著作物を固定する「物」は、フィルムに限定されず、磁気テープでも何でもいいとされています。そして、「物に固定されている」とは、「著作物が、何らかの方法により物と結びつくことによって、同一性を保ちながら存続しかつ著作物を再現することが可能である状態」を指すとされています。 
 最後は、俗に「内容」の要件といわれているものです。条文に即していうと「著作物」であること、つまり、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)であることをいいます。

3 「パックマン」と「映画」

a 二つのパックマン事件

 いままで、ビデオ・ゲームが「映画の著作物」か否かについて原告と被告との間で真剣に争われ、「映画の著作物」にあたるとの判断が裁判所より下された裁判例が二つあります。一つは、昭和59年9月28日に東京地方裁判所民事第29部(牧野利秋裁判長)で下されたもので、判例タイムズという雑誌の534号の246頁以下に掲載されています。もう一つは、平成6年1月31日に東京地方裁判所民事第29部(西田美昭裁判長)で下されたもので、判例タイムズの867号の280頁以下に掲載されています。いずれも、「パックマン」というゲームに関するものです。では、これらの裁判例の中で、どのような論理によって、「パックマン」が上記3要件を満たすとされたのかを見ていくことにしましょう。

b 表現方法の要件

 パックマンというビデオ・ゲームは、「影像をディスプレイ上に映し出し、極めて短い間隔でフレームを入れ替えることによってその影像が連続的に変化しているように見せる方法で表現されているものである」(平成6年判決)から、表現方法の要件を満たすとしています。

c 存在形式の要件

 パックマンというビデオ・ゲームの場合、プログラム(命令群)もプログラム(データ群)もROM中に電気信号の形で記憶されています。 
 もっとも、ゲームのプレイ中は、プレイヤーのレバー操作により、プログラム(データ群)から抽出されるデータの順序に変化が加えられ、ブラウン管上に映し出される影像もプレイヤーのレバー操作によって変化します。「しかしながら、プレイヤーが操作レバーを全く操作しなかった場合には、常に同一の連続した影像がブラウン管上に映し出されるし、理論上は、プレイヤーが同一のレバー操作を行えば常に影像の変化は同一となる。また、いかなるレバー操作により、いかなる影像の変化が生ずるかもプログラムにより設定されており、したがって、プレイヤーは絵柄・文字等を新たに描いたりすることは不可能で、単にプログラム(データ群)中にある絵柄等のデータの抽出順序に有限の変化を与えているに過ぎない」(昭和59年判決)。そうすると、パックマンの影像はいずれも「プログラム(データ群)中から抽出したデータをブラウン管上に影像として映し出し表現することが可能であり、その意味で同一性を保ちながら存続しているといいうる」と判示しました(昭和59年判決)。 
 「以上によれば、『パックマン』のブラウン管上に現れる動きをもって見える影像は、ROMの中に電気信号として取り出せる形で収納されることにより固定されているということができる」(昭和59年判決)とされたのです。

d 内容の要件

 「思想又は感情」とは「厳格な意味で用いられているのではなく、およそ思想も感情も皆無であるものは除くといった程度の意味で用いられているものであって、人間の精神活動全般を指」し、「創作性」とは「いわゆる完全な無から有を生じさせるといった厳格な意味での独創性とは異なり、著作物の外部的表現形式に著作物の個性が表れていればそれで十分である」とし、さらに、「『文芸、学術、美術又は音楽』というものも、厳格に区分けして用いられているのではなく、知的、文化的精神的活動の所産全般を指すもの」であり、「該著作物がどの分野に属するかを確定する実益はない」とまず判示しました(昭和59年判決)。その上で、

とによって表現されているところは、「『パックマン』に独特のものである」から、「パックマン」は、著作者の精神的活動に基づいて、その知的文化的精神活動の所産として生み出されたものであり、著作物性を有する」としました。

e まとめ

  このように、「パックマン」というビデオ・ゲームは、「映画の著作物」の3要件を全て満たすから、「映画の著作物」にあたるとしました。

4 パックマン判決の問題点

a はじめに

 この2つの判決は、あくまで地裁レベルでなされたものですから、いかなる意味でも他の裁判所を拘束するものではありません(時折、ビデオ・ゲームを「映画の著作物」とする判例があるかのように述べるものが散見されますが、「判例」と呼べるのはあくまで最高裁判所で下された判決の抽象部分のみですから、それは間違いです。)。今後変更される可能性もあるわけです。ですから、この2つの裁判例の論理を批判的に検討することは、いまなお意味があります。 

b インタラクティブ性と「固定」

 この2つの判決の論理の中でもっとも私が疑問に感ずるのは、存在形式の要件すなわち「(著作物が)物に固定している」といえるかという点に関する説示です。 
 「映画の著作物」における「表現」は、あくまで「連続的な影像(または影像+音声)」であって、個々的な影像や個々的な音声ではありません。だとすれば、「映画の著作物」が「物に固定されている」というためには、「影像(または+音声)の連続」がそのまま一定の「物」に結びついている必要があると思います。劇場用映画はもちろん、テレビ番組や市販のビデオ・カセットもそのようになっています。このようになっていればこそ、著作者が創作した連続影像がそのまま上映され、人々の目に触れるのです。 
 ところが、パックマンの場合は違います。パックマンのストーリー(思想または感情)が「パックマンとモンスターとの追いつ追われつのスリリングな追跡劇」という点にあるのだとすると、これを表現したものというのは、「ゲームがスタートしてからゲームオーバーになるまでの一連の影像」ということになります。この意味での「連続した影像」というのは、一義的には決まっておらず、「同一性」を保ちようがありませんし、再現することも事実上不可能です。したがって、「映画の著作物」となるべき「連続した影像」は、いまだ「物に固定されていない」というべきです。 
 これに対して、上記二つの裁判例においては、プログラム(データ群)とプログラム(命令群)がROMに記憶されていれば、プレイヤー新たな絵柄・文字等を新たに描いたりすることは不可能であるから、パックマンの影像はROMに固定されているのだとします。この論理は、おかしいです。この論理でいくと、電子ピアノは、プログラム(データ群)とプログラム(命令群)がROMに記憶されており、プレイヤーが新たな音色を再現することは不可能であり、プレイヤーの鍵盤操作は単にプログラム(データ群)中のデータの抽出順序に有限の変化を与えるに過ぎないから、その電子ピアノで演奏されうる音が「固定」されているということになってしまいます。すると、電子ピアノはその電子ピアノで演奏される全ての音楽についての「レコード」にあたることになり、電子ピアノのメーカーはその電子ピアノで演奏される全ての音楽についてレコード製作者としての地位が与えられ、著作隣接権が与えられることになってしまいます。しかし、それは常識に反します。これは、「固定」の捉え方がおかしいのです。 
 また、2つのパックマン事件において裁判所は、これに対し、昭和59年判決は、例えばゲーム終了後コインが投入されるまでの間「1ゲーム50円であること」等を示すアトラクト画像や、一定の時間間隔毎にアトラクト画像上でパックマンが口をパクパクさせながら左右に移動しているように見せる挿入画像は、再現可能であると述べています。しかし、アトラクト画像や挿入画像は、著作者が「思想または感情」を表現したものではありません。また、プレーヤーが何のレバー操作もしなければ常に一定の影像が再生可能であるとも述べますが、パックマンというソフトが仮に乱数をパラメータに取り込んでおらず、そのようなことがいえるとしても、「ゲームスタート後、パックマンが一歩も動かず、たちまちモンスターに食べられ、ゲーム終了となる影像」というのは、著作者の「思想または感情」を表現したものではありません。したがって、そのような連続影像に限っていえば常に再生が可能だからといって、映画の「著作物」が物に固定したとはいえません。 

5 パックマン判決の射程範囲〜〜どのようなビデオゲームが「映画の著作物」となるか。

a はじめに

 ビデオ・ゲームといっても、千差万別です。ですから、仮にパックマン事件判決の論理にしたがったとしても、直ちに全てのビデオ・ゲームが「映画の著作物」となるわけではありません。ここでは、どのような種類のゲームが「映画の著作物」となるのかを検討します。

b 動画主体のゲーム

 背景画像や登場キャラクターの動きを楽しむビデオ・ゲーム(パックマンやディグダグ等の追跡型ゲームや、スペース・インベーダーやゼビウスのような古典的なシューティング・ゲーム等が含まれます。ストリート・ファイターやフライト・シミュレーターなども同様でしょう。)の場合、パックマン判決の論理に従えば、「映画の著作物」と認められやすいです。

c データと静止画像主体のゲーム

 南青山殺人事件等のアドベンチャーゲーム、ドラゴンクエスト等のロールプレイングゲーム、信長の野望等の歴史シミュレーションゲーム、将棋・チェス等のボードゲームのビデオ・ゲーム版、まきがめのようなパズルゲームは、静止画像と文字・数字データが主体となっています。ハードの発展とプログラムの肥大化に伴って、これらの類型のビデオ・ゲームにおいても、本質から離れた部分で動画技術が使われるようになりました(例えば、将棋ゲームで駒がなるときにスムーズに裏返るようにみせるとか、歴史シミュレーションゲームで「開墾」を命じられたキャラクターが「鍬」を上下させるなどのことを想定しています。)。しかし、ゲームの本質的でない部分に動画技術が使用されただけでは、そのビデオ・ゲームを「映画の著作物」であるとはいえないでしょう。

d 音声主体のゲーム

 「リアルサウンド〜風のリグレット」のように一切画像が用いられず、音声のみで表現されたビデオ・ゲームを「映画の著作物」と認めることはできません。

第3 中古ゲームの販売と頒布権

1 はじめに

 仮にパックマン事件判決の論理に従ったとすると、ある種のビデオ・ゲームは、「映画の著作物」となります。すると、ビデオゲーム専門店などが中古のビデオ・ゲームを公衆対象に売却することは、映画の著作物について著作権者に特に認められた「頒布権」を侵害することであり、犯罪行為であるということになるのでしょうか。

2 映画の著作物の頒布権

 映画の著作物については、著作権者は、その複製物を頒布する権利を独占しています。頒布とは、「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」(著作権法26条)をいいます。映画の著作物の場合、「著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含む」ものとされています(著作権法2条1項19号)。誰かが映画のプリント(複製物)を映画制作会社に無断で売り渡したり、貸し与えたりすると、映画製作会社の頒布権を侵害したとして、損害賠償請求をされたり、刑罰を科せられたりすることになる畏れがあるということになります。 
 このように映画の著作物についてのみ頒布権が定められたのは、劇場用映画の流通形態の特殊性に基づきます。つまり、劇場用映画の場合、プリントフィルムが一本あると、これを劇場で上映してたくさんの観衆に見せることによって莫大な利益が得られます。したがって、映画製作者としては、劇場が一回映画を上映するごとに、劇場から金員を徴収して映画製作のために投下した資本を回収しようとします。そのためには、どこの劇場で、いつ、その映画を上映するかを確実に把握したくなります。そのため、劇場用映画の場合、プリントフィルムを各劇場に一定期間貸与して上映させ、期間が過ぎるとこれを回収してまた別の劇場に貸与するという配給制度が採用されています。この映画配給制度を、映画の著作権者の権利として条文化したのが、著作権法26条に定める「頒布権」だとされています。

3 劇場用映画以外の「映画の著作物」と頒布権

 映画著作物の複製物の頒布権というのがこのように劇場用映画の特殊な流通形態に合わせて創設されたものであるということから、劇場用映画以外の、著作権法2条3項により「映画の著作物」に含まれたものについてまで、頒布権が認められるのかということが問題となります。 
 頒布権の客体となる「映画の著作物……の複製物」は劇場用映画の配給用プリントフィルムに限るという見解も有力です。これに対しては、「著作権法26条には、単に『映画の著作物……の複製物』とあり、劇場用映画の配給用プリントフィルムに限るとは書いていないではないかという反論もあり得ます(東京地方裁判所で平成6年7月1日に下された、いわゆる「101匹ワンチャン事件」判決(注1)は、この論法を採ります。)。しかし、法律の立法趣旨に合わせたり、事案解決の具体妥当性を図ったりするために、法律の条文で用いられている言葉を、その言葉本来の意味合いよりも狭くとらえるというテクニック(「縮小解釈」といわれます。)は、しばしば行われています。そのようなテクニックを完全に否定する見解もあるのですが、ほとんど支持されていません。いずれにせよ、そのような少数説に立たない限り、上記のような批判は当たっていないといえるでしょう。問題は、著作権法26条の「映画の著作物……の複製物」について縮小解釈をすることが妥当かどうかなのです。 
 この問題を考えるにあたっては、次の各点を重視すべきと思います。一つは、ビデオ・カセット等、大量生産されて市場において広く流通しているものについて、著作権者に頒布権を認めて中古売買を禁止する権利を与えることが妥当でないと広く認められていることです。一つは、現行著作権法を起草した一人である佐野文一郎氏は、現行法成立直後の座談会(注2)で、著作権法上の「映画の著作物」としてはあくまで常識的意味の映画を想定しているということをしきりに強調していたということです。これらのことと、著作権法26条の制定経緯、および頒布権の客体が「映画の著作物」ではなく「映画の著作物……の複製物」」とされていること等をあわせて考えるならば、頒布権の対象となる「映画の著作物……の複製物」は劇場用映画の配給用プリントフィルムに限るという縮小解釈は十分成り立つと思います。 
 この見解に立てば、ビデオ・ゲームが仮に著作権法2条3項にいう「映画の著作物」にあたるとしても、これを記録したカートリッジやCD−ROM等は、劇場用映画の配給用プリントフィルムではないから、頒布権の客体とはならないということになります。すると、中古ゲームソフトの販売は、頒布権侵害とはならず、何ら違法なものではないということになります。 

第4 頒布権の用尽

1 はじめに

 仮に、ビデオ・カセットやビデオ・ゲームなど、著作権法2条3項により「映画の著作物」に含まれたもの全てについて、その複製物が、頒布権の客体である「映画の著作物……の複製物」にあたるという見解を取った場合、中古ゲームソフトの売買は頒布権侵害となるのでしょうか。ここでは、ゲームソフトがメーカーから小売店、小売店から消費者へと適法に流通していったことにより、権利(頒布権)が「用尽」したといえるのかどうかを検討します。

2 「用尽」とは

 「用尽」とは耳慣れない言葉ですが、文字どおりの意味は、「用い尽くすこと」です。では、権利を「用い尽くす」とはどういうことでしょうか。「用尽論」というのは元々特許法の解釈論として出てきたものですから、特許の場合を例に説明します。 
 特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有します(特許法68条)。ここでいう「実施」には、「物の発明」であればその物を生産し、使用し、譲渡し、貸し渡すこと等が含まれ、「物を生産する方法の発明」であれば、その方法により生産した物を使用し、譲渡し、貸し渡すこと等が含まれます(特許法2条3項)。つまり、特許製品を譲渡したり貸与したりする権利は、特許権者が独占しているのです。 
 しかし、特許権者自らが製造し、あるいは特許権者からライセンスを受けた者が製造した商品を正規のルートで購入したのに、これを業として使用したり、譲渡したりする行為が特許権侵害にあたるとして、損害賠償請求を受けたり、刑罰を科せられたのでは、危なくて特許製品など購入できたものではありません。そこで、判例・通説は、特許法には明文の規定はありませんが、特許権者が自らあるいはライセンシーを通じて適法に特許製品を流通におくことによって、その特定の商品に関する特許権は用い尽くされ、以降は、その特定の商品については、特許権者は特許権を行使して販売等を禁止したりすることは許されないとしています。これが「権利の用尽」といわれるものです。特許権者は、特許製品を流通におくに際して、その取得者がその特許製品を使用したり、再譲渡したりすることを見込んで対価を受けることが可能だったのであり、特許製品の流通を阻害してまで特許権者に対価の二重取りをさせる理由がないというのが一番大きな根拠です。

3 映画の頒布権と「用尽」

 では、ビデオゲームのカートリッジ等「映画の著作物……の複製物」についても、著作権者あるいは著作権者からライセンスを受けた者によって流通におかれた場合、その物に関しては頒布権が用尽したことになるのでしょうか。 
 偽物や違法コピー品でない正規の商品(これを真正商品といいます。)について人から人へと渡っていくたびごとにゲーム製作会社の許諾が必要になるとすると、非常に流通は阻害されます。廃棄以外に処分ができないとすると、非常に無駄です。そのようなデメリットを容認してまでも、ゲーム製作会社に対し流通のたびごとに著作権の対価を二重、三重に与える必要があるのかということが問題となります。 
 この点について、CESAは、ゲーム製作会社は、中古販売のことまで考慮して価格設定しているわけではないと主張しています。しかし、中古市場があって初めて現在の価格帯で多くの消費者が商品を購入できるわけです。中古市場への売却によって、ある程度の投下資本の回収が果たせないようであれば、主要な顧客層である男子小中学生が高額なゲームソフトを現在の商品サイクルで購入することなどできないのです。したがって、現在の商品価格(あるいはそれを左右する許諾料)が中古販売のことを考慮に入れていないというのは誤りだと思います。しかも、特許製品の用尽でもそうなのですが、権利者には、中古販売のことまで考慮した上で対価を得る機会を与えれば足り、実際にその機会を利用して対価を得たかどうかを問わないのです。 
 このように考えるならば、カートリッジ等を問屋や小売店等に卸したり、ライセンシーにカートリッジ等を製造・販売することを許諾したことによって、問屋等に卸したカートリッジやライセンシーが製造・販売したカートリッジ等については、もう頒布権を行使できないというべきです。 
 そのような結論を導くための法律構成としては、次のようなものが考えられると思います。著作権者としては、ビデオ・ゲームの連続的影像を人々に鑑賞させる手段としては、カートリッジ等を貸与して上映(プレイ)させるという方法と、カートリッジを譲渡して上映(プレイ)させるという方法とがあり得ます。そのうち、「譲渡」という方法をあえて取ったということは、カートリッジ等の借受人ではなく譲受人であって初めて出きること、つまり、カートリッジ等の再譲渡等については、当然に予め包括的に許諾したものと考えるということです。

第5 終わりに

 ゲーム製作会社がしっかりしなければおもしろいゲームができず、ゲームの売り上げは落ち、ゲームの専門店は成り立ちません。一方で、ゲーム専門店が利益を上げられないようであれば、いくらおもしろいゲームを創っても売れ行きがのびず、ゲーム製作会社も成り立たなくなっていきます。ですから、独占禁止法等に触れない範囲で、ゲーム製作会社の利益団体とゲーム専門店の利益団体とが話し合いを持つことを否定する気はありません。しかし、著作権法の一方的な解釈により、違法・追放キャンペーンを張って、相手を追いつめて有利な条件を導こうとするやり方には感心できません。

(Top Page へ戻る。)

注 
注1)判例タイムズ854号93頁以下。
注2)伊藤正己他「新著作権法セミナー[第14回]---映画、放送(テレビ)---」ジュリスト483号119頁〜120頁における佐野文一郎発言および野村義男発言参照。