このように、森氏と志岐氏は、同時並行的に同じ問題を追及してきたわけですが、一つ大きな違いがありました。それは、志岐氏が「小沢元代表について起訴議 決をしたとされる検察審査会自体がそもそも存在しなかったのだ」とする架空議決説をとるのに対し、森氏はそのような荒唐無稽な見解を取っていなかったのです。 正確に言えば、森氏は、予断を持たずにあらゆる可能性を考えた上で調査活動を行い、その結果、検察の捏造資料によって検察審査会の審査委員が誤解に基づいて起 訴議決を行ってしまったのだとの結論に至ったのです。
ところが、志岐氏は、森氏もまた自分と同じように架空議決説を採用していると軽信しており、森氏が「検察の罠」という書籍を出版するなどして架空議決説に 立たないことを知るや、森氏が最高裁事務総局と裏取引をして、架空議決説を闇に葬り去り、非難の対象を最高裁事務総局から検察へと転換する捏造資料説をでっち 上げたと盲信するようになりました。そして、志岐氏は、そのような観点から森氏を非難する内容のブログエントリーを、いくつも投稿したのです。
今回の訴訟で特に問題視したのは、次の3つのエントリーです。
これらは、森氏について以下の(虚偽の)事実を摘示するものです。
森氏は志岐氏に対し、このような虚偽の内容を含むエントリーについて、まずは訴訟外で撤回を求めました。しかし、これを聞き入れる様子はなかったので、今 回提訴に至った次第です。
これに対して、「ネット上の言論については、ネット上の言論で対抗すれば良く、訴訟という手法を用いたのは問題がある」と考える方もおられるかもしれませ ん。確かに、抽象的なイデオロギー論争であれば、ネット上での議論に委ねるのが適切でしょう。しかし、これは、森ゆうこという個人に関する、過去の特定の事実 の有無に関するものです。事実であれば、その存否は、証拠を吟味することによって検討されるべきです。
しかし、「特定の事実の有無について見解の相違がある当事者間で証拠を出し合い、中立的な第三者がそれを見てその事実の有無を判断する」という作業は、 ネット向きではありません。特定の事実の有無を示す証拠の大部分は、ネットにアップロードされていないものですし、勝手にネットにアップロードすることが許さ れていないものですから、これをネット利用者にお示しすることができません。また、特定の人や組織の名誉を貶める内容のコンテンツを見た人には、中立的な立場 から、証拠と照らし合わせて各摘示事実の存否を判断していくインセンティブはなく、多くの場合、そのようなことをする訓練も受けていません。
したがって、森氏としては、上記摘示事実が存在しないことをネット上で指摘しても、それではどうにもなりそうにありません。現に、志岐氏は何の証拠も提示 せずに森氏を貶めるエントリーをアップロードしているというのに、これを信じて、森氏を憎みまたは軽蔑するに至る人々が少なからずおられたのです。
そして、名誉毀損訴訟を提起すれば、上記各事実が真実であると志岐氏が信じるに至った証拠が法廷に提出されるのではないか、それ ならそれで、そのような証 拠からそのような事実を読み取るのは間違っている、あるいは、そのような証拠からそのような事実を読み取るのはやむを得なかったかもしれないけれども森氏側の 提示するこのような資料を合わせてみてもらえれば、そのような事実があったと読み取ることはできないはずだ等の建設的な話ができるのではないかとの期待もあり ました。
しかし、そのような期待は、志岐氏側の訴訟戦略によって裏切られました。志岐氏は、上記のような事実摘示を行ったということ自体否定してきたのです。
具体的に述べると、志岐さんの側は、上記1.のエントリーにおいて、上記事実摘示などしておらず、
原告は,小沢一郎氏の第1 審判決直前から,原告が最高裁に屈したと考えられ,それまでの追及先を最高裁から検察に変え,疑惑だらけの検察審査会について蓋をして隠蔽したと評価されるのであり,その ような原告の政治家(その当時は原告は国会議員だった。)としての変節について批判する論評である
と主張しました。「そのような原告の政治家(その当時は原告は国会議員だった。)としての変節について批判する論評」であるとすれば何でも「論評」にできる かのような言い回しです。
仮にこれを「論評」と認めた場合に、その論評の全体となる事実 (真実性の抗弁において志岐氏側が立証すべき事実)は、「小沢一郎氏の第1 審判決直前から,原告が最高裁に屈し、疑惑だらけの検察審査会について蓋をして隠蔽した」こととなるはずです(そのような事実があればこそ、「変 節について批判」すること が可能です。そして、「蓋をして隠蔽した」という以上、森氏は、検察審査会について最高裁になお追及されるべき問題があるとの認識に立ちながら、最高裁には何 の問題も無かったことにしたという事実を前提としていることは明らかですし、志岐氏のエントリーを見れば、ここでいう「検察審査会について最高裁が追及される べき」問題というのが、「実際には検察審査会の審査員を選んでおらず、したがって検察審査会は開かれてもいないのに、検察審査会が開かれ、小沢元代表について 起訴議決がなされた旨装った」ことを指すことは明らかです。したがって、志岐氏としては、上記「論評」の前提事実として、森氏がなお上記「虚偽議決説」を正し いと信じていたことを立証する必要があります。
しかし、志岐氏は、そのような事実を立証することからは逃げました。すなわち、志岐氏が上記論評の前提事実として主張したのは下記の各事実です。
@ 原告は,当初は,最高裁事務総局を追及していた。
A 原告は,平成24年4月26日の小沢氏の無罪判決の直前から,「起訴議決は検察の担造報告書による誘導による」と主張し始め
た。
B 判決直前,原告が中心になって衆参法務委員会秘密会の開催要請をしたが,判決以後は具体的な開催要請が一切なかった。
C 何者かによって,ロシアサーバーを通じて捏造報告書が八木啓代氏に。届けられた。
D その後すぐ,原告と八木氏は,「司法改革を実現する国民会議」(エントリー1には「市民主議員の会」とあるが不正確であっ た。)を結成し,検察追及を始め た。
E その頃から,原告は,被告や石川克子氏を遠ざけるようになった。
F 平成24年5月,原告は『検察の罠』という本を上梓し,その冒頭で,「この議決は検察当局の捜査報告書の『担造』という犯罪 によって誘導されたものである」(同1頁),本文において「最高裁スタッフは真面目で優秀である…私は決して悪い人間ではないと思っている」(同85頁)と書 いた。
G 小沢氏の無罪判決直後に発行された「週刊実話」に,謎のフィクサーX氏,原告,平野貞夫氏が,最高裁に不当な圧力をかけ,小 沢無罪を勝ち取ったという記事 が掲載された(乙6)。
H その記事の内容は,表現を変えているところもあるが,被告がX氏から聞いた話とかけ離れていなかった。
I X氏は,平成24年始め,被告に近付いてきて,最高裁の「イカサマ審査員くじ引きソフト」情報,起訴議決後の9月28日に斉 藤検察官が検察審査会に説明に行った」という話など検察審査会の疑惑情報を沢山くれ,これらの情報を被告ブログなどで広めてほしいと頼んできたので,言う通り に,X氏からもらった情報を使って最高裁を攻めた。
そして、この@〜Iからは、「森氏らは、「架空議決」を武器にして、裏で最高裁を攻めていたと推測される。」「一市民Tは、週刊実話ストーリーのように最高 裁が森氏に屈したのではなく、森氏の方が最高裁に屈したのではないか。森氏にしてみれば、最高裁追及を止めて、議決は検察の捏造報告書の誘導のせいにしてで も、早く小沢氏の無罪判決がほしかったのではないか。」「森氏は疑惑だらけの検審に蓋をしただけでなく、起訴議決を検察のせいにして幕を引いてしまった。」と の表現内容を導くことはできません。「小沢一郎氏の第1 審判決直前から,原告が最高裁に屈したと考えられ,それまでの追及先を最高裁から検察に変え,疑惑だらけの検察審査会について蓋をして隠蔽した」との評価は、 上記@〜Iの事実が仮に全て正しかったとしても、導くことはできないのです。
さらにいうと、志岐氏の側はさらっと「原告は,当初は,最高裁事務総局を追及していた」としていますが、森氏は、志岐氏が主張する「架空議決説」に乗っ 取って最高裁事務総局を追及していた事実はありません。むしろ、森氏は、検察審査会の審査員を選ぶ抽選ソフトの問題を指摘していたのです。したがって、「森氏 らは、「架空議決」を武器にして、裏で最高裁を攻めていた」と推測するのは明らかに不適切です。
また、志岐氏は、上記2番目のエントリーについても、事実摘示を行ったのではなく、
X氏が個人で検察の捏造報告書を入手することは.できないだろうし,X氏が独断で検察の担造報告書を八木氏に届けるとも考えられないか ら,流出について原告側が関与しているとみるのか自然であり,捏造報告書をこそっと流出させて八木氏が騒ぎ,その後,原告と八木氏が騒ぐことで,捏造報告書の 存在を多くの国民が知ることになり,小沢一郎氏についての起訴議決をした東京第五検察審査会に検察審査員が存在し,検察審査員は捏造報告書によって起訴議決に 誘導されたと思い込まされ,それが世に受け入れられて,最高裁事務総局の犯罪に蓋をして隠蔽したと評価でき,そのような原告の政治家(その当時は原告は前国会 議員だった。)としての変節について批判する論評
であるとします。このような詳細な事実摘示をしておきながら、最後に「そのような原告の政治家としての変節について批判する」といっておけば事実摘示ではな く「論評」になるという論理は理解の範囲を超えるものです。
仮にこれが「論評」だとしても、その前提となる事実には、森氏が検察の捏造報告書を流出させたという事実が含まれていなければおかしい し、「小沢一郎氏に ついての起訴議決をした東京第五検察審査会に検察審査員が存在し,検察審査員は捏造報告書によって起訴議決に誘導された」と国民に思い込ませるために原告が捏 造報告書を流出させたという事実が含まれなければおかしいのです。
しかし、志岐氏側は、上記事実の存否を争点とすることを回避しようとしました。すなわち、志岐氏側が上記「論評」の前提事実として主張したのは、下記の事 実でした。
@ 平成25年3月,X氏から被告に電話があり,「志岐さんのプログには一つだけ間違いがある。志岐さんは捏造報告書を流出させ たのは最高裁だと言っているが,それは違う。私がロシアのサーバー通し八木氏に流した。どこから誰が流したか完全に分からないようにして流した」と伝えた。
A ロシアサーバーからの流出が伝えられた直後のX氏も参加した会合で,某ブロガーがX氏に,X氏なら出来るよね。貴方がやった んじゃないの」と言った際,X 氏はにやにやしているだけだった。
B X氏は,原告,平野貞夫氏を信頼し,いつも両氏の指示を仰いで行動していた。
C 原告と平野貞夫氏も,X氏を頼りにしているようだった。
D X氏は,「斉藤検察官の議決後の検察審査会での説明」や「二階議員による特許庁汚職」などの情報を両氏に提供していた。
E X氏はF記者との付き合いも多く,週刊朝日に二階俊博汚職のネタを持ち込んで掲載させるなどしていた。
F X氏は,コンピューター専門家であり,審査員ソフトの解析でも活躍した。
G X氏はとっては,出処を隠してインターネットに流出させることは朝飯前だと考えられた。
H 原告と八木氏は,流出後すぐに,「司法改革を実現する国民会議」を結成し,検察追及を始めた。
I 原告は,捏造報告書が週刊朝日に掲載されたことについて,その著書『検察の民(乙5)において「判決がいよいよ2日後に迫っ た4月24日,ついに切り札は現れた。『週刊朝日』(5月4・11日号)(乙7)が,「東京地検特捜部の謀略をスクープしたのだ。」などと述べていた(同書 182,183頁)。
J 原告は,その著書『検察の民』(乙5)において「…捏造報告書は,それからしばらくして誰でも読めるようになった。」と述べ ていた(同書217頁)。
K 原告は,「起訴議決は検察の捏造報告書による誘導だ」という発言を,集会や著作などで繰り返した。
すなわち、ここでも、志岐氏は、「森氏が検察の捏造報告書を流出させたという事実」を前提とする論評はしていない、それを原告は「小沢一郎氏についての起 訴議決をした東京第五検察審査会に検察審査員が存在し,検察審査員は捏造報告書によって起訴議決に誘導された」と国民に思い込ませるために行ったという事実を 前提とする論評はしていないとしているわけです。つまり、「森氏が検察の捏造報告書を流出させたという事実」等々は、この訴訟では、何ら立証されていないとい うことになります。
結局のところ、志岐氏は、森氏の名誉を低下させる部分について、「そんな事実摘示はしていない」といって、その真実性を証明することから逃げているという ことになります。
いずれにせよ、志岐氏側は、森氏が「架空議決」を武器にして、裏で最高裁を攻めていたという事実があったとも、森氏が最高裁に屈して「架空議決説」を隠蔽した事 実があったとも、検察の捏造報告書の流出に森氏が関与していたという事実があったとも主張していないと言っているわけです。そうであるならば、そのように受け取ら れかねないエントリーは、速やかに削除するなり、撤回するなりするべきだと思います。